『音楽の聴き方』中公新書
岡田暁生『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』中公新書
面白かったのは「わざ言語」。
指揮者がリハーサルで用いる表現例として
「いきなり握手するのでなく、まず相手の産毛に触れてから肌に到達する感じで」
「おしゃべりな婆さんたちが口論している調子で」
等が挙げられています。
実は、筆者の用いるこの「わざ言語」という用語、
「特定の身体感覚を呼び覚ますことを目的とした特殊な比喩」という意味で、
日本舞踊の伝承の研究本から引用したもののよう。
日本舞踊では
「指先を目玉にしたら」
「天から舞い降りる雪を受けるように」
「揚げ幕に丸い穴をあけてそこから向こうをのぞくように」
などの例があるそうです。
なーるほど!
両者は共通しているけれど、
日本ではそれが定まった「型」の伝承へと進んだのでは?
西洋ではそこまでの対応にはならないと思いますが。あくまで個性、といいますか。
でも、必要なのが「リアルな身体感覚」というのは同じ。
なんだか、斎藤孝氏の「身体論」につながる感じ。
で、専門的な音楽用語も、その多くが本来「わざ言語」的性格のものだとか。
常識なのかもしれませんが、私にはそこまでの認識はなかったです。
スタッカート:はがす、ちぎる
レガート:縛る、結ぶ
アレグロ:朗らかに、快適に (「速く」ではない。急いてはいけない)
ツェルニーの定義によると、
ピアニッシモ:謎めいた神秘的な性格、遠い彼方からのこだまのざわめきのように、聴き手を魅惑する効果
フォルテ:エチケットに反しない範囲での、独立心に満ちた決然とした力、ただし情熱を誇張するわけではない
フォルテッシモ:歓呼にまで昂ぶった喜び、または憤怒にまで高められた苦痛
なるほど。
たしかに、どれもこれも、強弱といった物理的な指示ではありません。
音楽と言葉は結びついているものですねえ。
日本語では、演奏を評して「上手い/下手」という表現を多用しますが、
ヨーロッパの音楽好きはこういう言い方はまずしない、そもそもその語彙がない
という指摘にも納得。
「ちゃんと音楽をしている」というのが賞賛の言葉なんだそうです。
それから、もう一点、「なるほど!」と思ったのが
レコードやCDがない時代、アマチュアが日々音楽に親しむ手段だったのが
連弾
だったということ。
近代音楽が決定的にアマチュアの領分から切り離される境界線は、
連弾のための編曲版が作れるような曲か否か、である
という考え方もできるそうです。
歴史の中で、音楽地図の中で、
アマチュア音楽愛好家の一人としての自分の立ち位置、目ざす方向を確認させてもらえたような、そんな本でありました。
第二次大戦期、若手研究者として渡仏し、キュリー婦人の娘・イレーヌとその夫、ジョリオの下で学び、フランス国家理学博士の学位を取得した女性。 







































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