書籍・雑誌

『音楽の聴き方』中公新書

岡田暁生『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』中公新書

面白かったのは「わざ言語」。

指揮者がリハーサルで用いる表現例として
「いきなり握手するのでなく、まず相手の産毛に触れてから肌に到達する感じで」
「おしゃべりな婆さんたちが口論している調子で」
等が挙げられています。

実は、筆者の用いるこの「わざ言語」という用語、
「特定の身体感覚を呼び覚ますことを目的とした特殊な比喩」という意味で、
日本舞踊の伝承の研究本から引用したもののよう。

日本舞踊では
「指先を目玉にしたら」
「天から舞い降りる雪を受けるように」
「揚げ幕に丸い穴をあけてそこから向こうをのぞくように」
などの例があるそうです。

なーるほど!
両者は共通しているけれど、
日本ではそれが定まった「型」の伝承へと進んだのでは?
西洋ではそこまでの対応にはならないと思いますが。あくまで個性、といいますか。

でも、必要なのが「リアルな身体感覚」というのは同じ。
なんだか、斎藤孝氏の「身体論」につながる感じ。

で、専門的な音楽用語も、その多くが本来「わざ言語」的性格のものだとか。
常識なのかもしれませんが、私にはそこまでの認識はなかったです。

noteスタッカート:はがす、ちぎる
noteレガート:縛る、結ぶ
noteアレグロ:朗らかに、快適に (「速く」ではない。急いてはいけない)

ツェルニーの定義によると、

noteピアニッシモ:謎めいた神秘的な性格、遠い彼方からのこだまのざわめきのように、聴き手を魅惑する効果

noteフォルテ:エチケットに反しない範囲での、独立心に満ちた決然とした力、ただし情熱を誇張するわけではない

noteフォルテッシモ:歓呼にまで昂ぶった喜び、または憤怒にまで高められた苦痛

なるほど。
たしかに、どれもこれも、強弱といった物理的な指示ではありません。
音楽と言葉は結びついているものですねえ。

日本語では、演奏を評して「上手い/下手」という表現を多用しますが、
ヨーロッパの音楽好きはこういう言い方はまずしない、そもそもその語彙がない
という指摘にも納得。
「ちゃんと音楽をしている」というのが賞賛の言葉なんだそうです。

それから、もう一点、「なるほど!」と思ったのが
レコードやCDがない時代、アマチュアが日々音楽に親しむ手段だったのが

連弾

だったということ。
近代音楽が決定的にアマチュアの領分から切り離される境界線は、
連弾のための編曲版が作れるような曲か否か、である
という考え方もできるそうです。

歴史の中で、音楽地図の中で、
アマチュア音楽愛好家の一人としての自分の立ち位置、目ざす方向を確認させてもらえたような、そんな本でありました。

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『怖い話2』

1年前ぐらいから評判になっていますね。中野京子『怖い絵』。
『怖い絵』『怖い絵2』『怖い絵3』と図書館で予約したうち、最初に手元に来たのが2。

ちょうど美術展 The ハプルブルク を見てきたところだったので、(→
「ほほう~。な~るほど!」
の感もひとしおのエピソードが。。。

上記美術展トップページ画像ともなっている、
ベラスケスが描いた マルガリータ王女、そしてその弟・皇太子の肖像画。
展覧会会場には、次のような解説がありました。

・マルガリータ幼少時から肖像画が描かれたのは、嫁ぐことが決まっていたウィーン王室に送るためだったこと
・弟皇太子の衣服についている鈴などは、体の弱かった彼を悪霊などから守る護符だったこと

で、『怖い絵2』です。
上記の絵・関連のほかの絵についてですが、次のような事情が説明されていました。

近親結婚で「異様に血を濃く」してゆく王家。
初代カルロス一世+いとこ→二代目フェリペ二世+姪(いとこ婚した実妹の娘)→三代目フェリペ三世+いとこの娘→四代目フェリペ四世+姪(実妹の娘)→

で、ここに生まれたのがマルガリータと、その弟、だったわけです。
肖像画の皇太子の「体が弱かった」のは、こうした血の濃さ、「今生きる我々におぞけをふるわせる四連続」の結果だったと。
そして、肖像画の男児が夭折したあと、マルガリータの10歳下に奇跡的に男児が生まれ、
彼が「カルロス二世」として即位するも、彼は「呪いをかけられた子」と陰でささやかれるような出来で、数割マシに描かれたと思われる肖像画からも、それが見てとれてしまう……

マルガリータも、ウィーンへ嫁いだ後4人の子どもたちを次々となくし、21歳の若さで病死。。。

こわっ!

そして、このマルガリータの時代には、「宮殿には数百人の奴隷」がいて、
重労働を担う一般の奴隷のほかに、「慰み者」と呼ばれる道化たち――矮人、超肥満体、巨人、異形の者、阿呆、おどけ、黒人、混血児など――がいて、
「その数はベラスケスが宮廷にいた40年の間だけでも、50人を超えた」

こわっ!
確かに、西洋の古い物語には「せむしおとこ」などの異形の者が頻繁に出てくるような…

言われてみれば当然だけれど、言われてみないと気づかない「怖さ」。
絵とともに語られると、歴史の流れ(うねり)が実感されます。

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篠田節子『薄暮』

読書の秋、という季節になりました。

自宅最寄の公立図書館、蔵書整理期間ということでしばらく休館だったのですが
昨日から無事開館。
ほいほいと足を運んで借り出して、ほぼ1日で読みきってしまったのが標題の本です。

篠田節子『薄暮』

日経新聞の夕刊に連載されていたのですね。知りませんでした。

雪に埋もれる田舎の地に根を下ろし、地元の風景や人物を描いた画家。
その画家をめぐって、
中央画壇に出ようとしない彼の才能を信じて支えつづけた、美貌の妻と
画家の死後、彼の絵を世に出そうとする東京の出版社の男との駆け引きを軸に
物語は進みます。

話の展開はミステリーじみていて、
妻が「贋作」として認めようとしない作品群の謎、
絵を買い取ろうとする怪しげな人物の動き、などが織り込まれるのですが、

もうひとつの流れとして、世の流れ、世間のどろどろしさが炙り出されます。

画集が無事出版され、画家が評判をとるという、地元の願いどおりの展開が、
彼を支え続けたはずの地元の人たちの間に亀裂を生んでしまったり、
純粋な読者の声だと信じていた反応が、実は組織的に仕組まれたものであったり、
怪しげな人物が、実は古くから地元に関わっていた常識人であったり……

そして、プライドの高い凛とした女性が、妄想や記憶障害にとらわれ、老いていく姿、
自分を見せずに「役割を生きる」ことに徹する女性の姿も、くっきりと描き出され…

いろいろな読み方のできる、奥の深い小説だと思いました。

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『ピアノ・ノート』

『ピアノ・ノート 演奏家と聴き手のために』チャールズ・ローゼン 
2009 みすず書房
(Piano Notes: The World of the Pianist (New York, Free Press, 2002)

先月刊行の新刊本です。
今までに読んだピアノ関係の本のなかで、一番収穫がありました。
この本を読んで、胸に残ったことを記しておきますと

★ピアノを弾く者として、身体をきちんと作って、自分の音をよく聴いて、弾かせてもらえるチャンスを大事していきたい!
★プロのピアニストの抱くべき覚悟たるや、想像を絶する。コンクール至上の考え方にも問題がありそう。
★プロの演奏家の録音切り貼りが一般的なら、それができないアマチュア演奏の録音が悲惨に聞こえるのは、むべなるかな。
★「素人が仲間内で聴きあう音楽会」の意義は?
プロが友人のために弾く会では、聴き手に合わせてとっさの機転で曲を選び、即興演奏も行うものだそうですが、素人にはそれは無理。
実はこれって、最近になって勢力を拡大しつつある、歴史的に見ても新たなジャンル?

さて、本文ですが、大変切れ味の鋭い文、論の運び。……著者略歴を見て、納得です。

Charles Rosen
1927年ニューヨークに生まれる。4歳でピアノを始め、11歳でジュリアードを中退、モーリッツ・ローゼンタールに師事する。
1951年プリンストン大学で博士号を取得(フランス文学)。
コンサート・ピアニスト、音楽批評家・理論家。
これまでにニューヨーク州立大学、オックスフォード大学、ハーバード大学、シカゴ大学などで教鞭をとる(フランス文学ほか)


いくつか、印象に残ったところを要約しておきます。

第1章 身体と心

★「腕に力を入れず、包み込むような柔らかいタッチで弾くべし」の理由

1)身体的な理由(各指を独立させるため、自由な筋肉を得る)
腕の力を抜かなければ、各指の筋肉を独立して動かすことができず、音の響きに対する演奏者のセンスを発揮することができない。
音質を決めるのは、機械的・技術的なメソッドではなく、指のコントロールによる引き分け能力と響きのバランスである。

2)心理的な理由(いい音質を作り出す上で、心理的にうまく働く)
ピアニストの身体は演奏のあいだ非常に多くの部分が活性化するので、身体が心に及ぼす影響は顕著であり、身体の固さは音楽の固さとなって現れる。

第2章 ピアノの音を聴く

弦楽器奏者や木管奏者は、楽器を習いはじめたときから自分の音を聴く習慣がついており、それが無意識の、第二の天性のようになっている。
だがピアニストは言われないと気づかない。

第4章 音楽学校とコンクール

・コンクールで、誰かの解釈のコピーのような演奏をするピアニストに対して
「学位のための試験なら78点をつける。だが職業を賭けた場では、こういう演奏はコンサートホールから追放されるべきだとわたしは考え、最低点をつける」

・ピアニストの道を志す者へ
ピアニストはなにがどう転ぼうと、自分の好きな音楽だけを弾くべきだ。そして同時にそれと同じくらい重きを置くべきは、自分だけの独自の解釈ができると考えるものだけを弾くことである。
学位のため、コンクール優勝のためにしなければならなかったことは、なんの意味ももたない。音楽に対する自分の観点と合致しなかった過去の教育は、人生の前半にかぶってきた甲羅のようにさっさと捨て去るときである。

第5章 コンサート

「なんのために公共の場で演奏するのか?」
演奏のたびごとに、音楽作品をその理想とする客観的存在に近づける機会があたえられるから。

コンサートの成功の鍵をにぎるのは聴き手の集中度、聴衆の中にわきあがる関心の高さである。(玄人には容認しがたい演奏が、ある聴き手には作品の魅力を伝える演奏として熱狂的に受け入れられることもある)

第6章 レコーディング

・テープ・スプライシング技法(テープの切り貼り)
「つまるところ、わたしはまちがった音をスプライスで消すのと、納得のいくまで全曲とおして16回弾くこととのあいだに大した差があるとは思えない。」

レコーディングの目的は技量の優越性を誇示することではなく、最良の一枚を作ること。
コンサートでは一音のまちがい、ど忘れ、ぎこちないフレージング、ちょっとしたリズムの計算違いはさほど重要ではないが、何度も聴きなおすレコードでは、それがつまずきの石になる。レコードを聴くたびに、まちがいの箇所を待ち構えることになるからだ。

(以下略)

第7章 演奏スタイルと音楽様式 では、
ピアノという楽器の歴史と、演奏スタイルの変遷について述べられていますが、
今日のところはここまで、ということで……

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『明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子』

題名からわかるとおり、太田治子氏の著作です。

はるか昔に国文科を出ている私、
中学・高校・大学時代は、それなりに太宰作品は読み、
それなりに評伝も読んでおりましたが、いかんせん

「凡人には、よくわからない……無頼派って、何?」

といったもやもや感が拭えずにおりました。
文学を語る際の「基軸」のようなもの自体を理解せずにいたのだと思います。

そんな私でも、この本の書く内容はストンと胸に落ちます。
文学に賭ける情熱、世間、家庭、私的生活、名誉欲、……
そういったものの間で揺れ動く人間模様。

母上・太田静子の日記、太宰との手紙、などを資料として、
治子氏自身の記憶も交えつつ、静かな筆致で淡々と書かれています。

それにしても……
太宰作品が、他人の日記を資料として、現在なら「著作権違反」と言われかねない手法で生み出されていたとは!
一般的にはよく知られている事実なのかもしれませんが(私も昔は知っていた??)。
文学の世界のマナーも時代とともに移り変わっていくことを実感します。

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『ダ・ヴィンチ・コード』

言わずと知れた、ちょっと前(3年前ぐらい前?)の話題作です。
当時は図書館での「予約待ち人数」がものすごかった記憶がありますが、
いまや予約人数ゼロ。

音楽史関係の本にダ・ヴィンチ・コードを読めば、時代の雰囲気がわかる」
というような記述があったので、手にとってみたのですが、
これ、謎解き、アクション満載、スリリングな展開の娯楽小説だったのですね。

文庫版の上・中巻までは、まさにハラハラしながら楽しんで読みました。
絵画についての「うんちく」なぞにも、へええ。。。と驚きつつ。
下巻になると、ちょっと食傷気味になってきて、読み手のモティベーションダウン
といった感じ。

実は、フランス印象派の時代について知りたい、と思っていたのですが、
そういう時代背景よりも、
宗教にまつわる「おどろおどろしさ」、人間の思い込みと情念の凄さ、
というような要素が胸に残りました。

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『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』

少し古く、2005年刊行の中公新書です。

『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』 岡田暁生

たいへん読みやすく、「目からウロコ」情報がたくさんありました。
自分が持っていた断片的かつ中途半端な知識に、一本、筋を通してもらったような感覚が残りました。

何のために作曲され、どのように演奏されたのか、
その時代は、どのような性格の音楽が求められていたのか、
それは、どのような社会背景から生じた要請だったのか、
作曲家は、演奏家は、社会の中でどのような位置づけにあったのか、
楽器は、演奏の場は、そして聴衆は、どう変化していったのか、

こういった文脈で、クラシック音楽が捉えなおされ、歴史的に説明されます。
「そんなことも知らなかったのか」と馬鹿にされそうですが、私の印象に残ったことを少し書いておきます。

・バロック音楽の多くは祝典のためのBGM。「いくつもの横の流れが絡み合う」のではなく「和音の柱がいくつも並んでいる」タイプの音楽が主流。

・バッハは、バロック時代の「典型的な作曲家」ではない。同時代的に見ればむしろ孤高の人。

・古典派になってはじめて、旋律が音楽をリードし、低音は目立たない背景になる。(それまでは通奏低音が音楽を支えていた)

・19世紀、音楽の市民化が進むと、作曲家に求められる素質も変容する。「雇い主の求めに応じてどんな音楽も仕立てられる職人」から、「強烈な個性を持った独創的な芸術家」へ。

・演奏会や楽譜を通して、作曲家たちが自らをアピールするようになり、音楽批評が盛んになったのも19世紀から。「先人に負けない、歴史に残る曲を」という発想が生まれる。

・18世紀までの音楽学習とは徒弟制度のもとでの「作曲の勉強」。音楽家は自作の曲を披露するために楽器を学んだ。「演奏家」という考え方は19世紀からで、この時期に「音楽学校」が誕生し、「ピアノ専攻」といった制度ができた。

・王侯貴族のみを聴き手とした時代から、広汎な聴衆層の時代(成金スノッブの出現)へ。ピアノ練習曲集で有名なツェルニーは、
「大勢の玉石混交の聴衆に対しては、音楽性よりもハッタリが大事」といった発言を残している。

・上記のように音楽が市民化していく中で求められたのが、パガニーニ、リストなどによる超絶技巧の音楽であり、大編成オーケストラによる大音量の音楽。

……まだまだ、いろいろありますが、このへんで止めておきます。

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『物理学者湯浅年子の肖像』

『物理学者湯浅年子の肖像-Jusqu’au bout最後まで徹底的に-』

090909book_2 第二次大戦期、若手研究者として渡仏し、キュリー婦人の娘・イレーヌとその夫、ジョリオの下で学び、フランス国家理学博士の学位を取得した女性。
戦乱の中、政府の意向で一時帰国するも、戦後改めて渡仏し、原子核の研究に没頭するとともに、日仏共同研究の道筋をつけた女性。

そんな、湯浅年子というひとのことを、私は全く知りませんでした。
大学の同窓会誌の推薦文などからこの本を知り、手にとった次第ですが、その真摯な生き方に、まさに背筋の伸びる思いでした。

彼女は数多くの和歌も詠んでいます。

「41年半ばから取り組んでいたベータ崩壊の観測・分析を着実に進めて、その結果を43年半ばまでに3つの論文にまとめ」た結果が「研究者たちに引用されて研究の進展に寄与」した結果、まさに、苦難の連続の末、
43年12月、学位審査に合格したときに詠んだ歌が、

 恐ろしき虚無みつめ居り吾が仕事なれりといへるこの朝にして

……なんという、沈潜。
「やった~!学位、とれた~!!さすが私!」では、ないのです。

大勢の人々に祝福を受けたあと、一人広い講堂に残ったとき、
「父がいない。母もいない。私はこんなに憂鬱になるとは予期していなかった。不十分な論文を提出したことに対する悔いが大部分を占めている。」(日記より)
というのです。

今の世の中、
「ポジティブ・シンキング!」「自己アピール力!」
といった価値観に満ち満ちていますが、心もベクトルを何が何でも「外向き」にしようとする風潮が正しいのだろうか?
と考えてしまいました。

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平野啓一郎『ドーン』

090730book 平野啓一郎というと、重い(ある意味、陰鬱な)テーマ、哲学的な筆運びの人、と思っていたので
(→ 『決壊』、『葬送』)、
ミステリー小説、エンタテイメント小説の趣で、一気に読ませる展開のこの本に、ちょっとびっくりしました。

でも、それはストーリー展開上の「仕掛け」にすぎず、
核にあるテーマは、さすが純文学!といった感じです。

有人火星探索を成功させて帰還したNASAクルー、
アメリカの選挙戦を戦う大統領候補と、そのブレイン、
彼らが中核となって、ストーリーは進みます。

だれしも相手によって見せる顔が違うということを表す dividual(分人)、dividualism(分人主義)という用語がキーワードの一つです。
「それゆえ社会は連帯を失ってゆくのだ」という、選挙戦の主張。それに対し、
「多様な考えの人間がいれば、それに対応する自分が多様になるのは当然」という主張。
そして、宇宙船という閉じた世界に6人だけで籠もる宇宙飛行士たちが、
その間、たった一つのdividual しか出せないがために精神的に追い詰められていく様子。

ほかにも、ネット監視&監視を逃れるための整形、政府と企業の癒着、テロと兵器、男と女、……現代社会のホットなテーマ満載です。

テーマは深く、ストーリーはドキドキはらはら。。。
そして、題名『ドーン』(dawn 夜明け)が暗示するように、希望が見える展開。
お勧めです。

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『挑戦するピアニスト 独学の流儀』

090727book早稲田中学・高校で数学の教鞭をとりながら、
ピティナ・ピアノコンペティションでソロ部門特級グランプリを獲得し、音楽界でも活躍する金子一朗氏の著作。

帯の文言にシビレます。

「ピアノ愛好家よ、尻込みするな。
自分の音楽を堂々と表現しようではないか。」

しかし…予想どおりのことですが…
「金子氏は愛好家などというレベルを超越しておられます!」

一読して、氏の豊富な知識と経験に圧倒され、へこみました。。。
曲目分析、「和声」などが出てくると、私にとってはまったくのお手上げ状態です。
参考図書なども紹介されているので、ちょっと元気が出たら頑張って勉強してみる…かも……??

私と全くの同世代(同学年)で、経歴(?)的には近しさを覚えなくもないのですが、
中学、高校時代の独学ぶりとか、大学ピアノサークル時代のエピソードとか
恐れ入りました!って感じです。

ご自分の歩んできた道の紹介、コンペティションの経験談などとともに、
この本のもう1本の柱となっているのが
「社会人として、いかに要領よくピアノ曲をマスターするか」
というスタンスからのアドヴァイス。

現在、私がまさに悪戦苦闘中の「暗譜」に関する記述については、
うんうん、と頷きたくなる記述満載。

ピアノに向かえないとき、いかにして曲と向き合い、練習時間を節約するか、など
必要とするトピックに応じて、何度か読み返してみたいと思います。

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『今日の風、なに色?』

090712book 話題の人、
ピアニスト辻井伸行氏の母上が書かれた本です。

1960年生まれの元アナウンサー。
そうか、、、20代のピアニストの母親が、私とほぼ同世代かあ。。
また、私の出身大学や、独身時代の勤務地に近い地名が多く出てきたりして、びっくりしました。

しかし!思ったとおり、並みの方ではございません。
彼女のバイタリティ、フットワーク、献身力……見事です。

決して「苦労話」としてではなく、「成功譚」としてでもなく、
迷いも素直に綴りながら書き進めて行く筆づかいに好感を覚えました。
「障害者だから障害者らしく」、社会に適応させるためのレールに載せる、
そういった教育を避け、
「伸行だから伸行らしく」を目指して、その背中にフォローの風を吹かせてあげる
(pp.67-68)

……言うは易く、行うは難し!そのものだと思います。
その信念を貫く見事さに感服です。

それにしても……天才と呼ばれる人の影には、立派な母あり、ですね。

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米原万里 対談集

090407book 言葉を育てる 米原万里対談集 (ちくま文庫)2008

米原さんのエッセイや小説は、
骨太で、読むのにガッツが必要ですが、
これは対談集だけあって、気軽に読めます。

やはり、印象に残るのは、
10歳~14歳の5年間に体験したという
在プラハ・ソビエト学校の話。
そして、通訳(逐次通訳&同時通訳)の現場の話。

もちろん、彼女自身のキャラクターもあるでしょうが、
少年・少女の時代に受けた教育の影響って大きい
ということがよくわかります。

彼女は、○×の客観主義に拘泥する日本の教育に徹頭徹尾批判的ですが、
ソビエト学校で実践していたという、
「ペーパーテストは一切なくて」「全部口頭試問か論文」
という授業は、やはりそれを支える社会風土があってはじめて可能になるのだと思います。

それを端的に物語るのが、
日本に帰ってきて初めて「劣等感」という言葉、そして感情そのものを知った
というエピソード。

「ソビエト学校の学友たちにも、そう言えば、劣等感という感情、人の才能とか能力に対するねたみとかひがみのようなものがなかった」
「優れた才能を友だちのなかに発見すると、自分のことのように喜んだ」

私自身は「劣等感のかたまり」のような子どもだったので、ほんとにびっくりです。

たしか、音楽家の巨匠のエピソードもありました。
何のてらいもなく「ぼくは天才だ」と言い、
神に与えられた才能を聴衆の前に差し出だけだから、ステージに立つ前にも全く緊張などない、と言っていると。

こういう発想が背景にあればこそ、という教育を
上っ面だけ取り入れて効果を上げようとするのは、難しいでしょうね。

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『奇跡のピアニスト郎朗自伝』

090308_2 北京オリンピックの開会式で、可憐な少女を脇に侍らせ
ますます磨きのかかった オーバーアクションでピアノを叩く
ランランを見て、

「ずいぶんどっしりと、貫禄がついてきたなあ…」

なんて思ってしまったのですが、彼、まだ26歳だったのですね。
なんだか、もう30代も後半?といった印象を抱いたのでしたが。。。
それぐらい長年にわたって音楽界に君臨しているような気がしていました。

しかしこの自伝には驚かされました。
幼少期の狂人的ピアノ漬け生活、…とても人間業とは思えません。
まさに一家の命運を背負っての、あとには引けない瀬戸際生活。
父親の、ほとんど狂信的ともいえる、息子に賭ける情熱。

「絶対にナンバーワンになるんだ!」

…いまや「ナンバーワンよりオンリーワン♪」が常識となってしまったような日本では
想像もつかないパワーで、人をがむしゃらに突き進ませる魔法の呪文。

モーツァルトの父を思わせるランランの父(本人も自認していたようですが)には、
ただただ圧倒されるばかりです。
文化大革命に翻弄され、自己実現を阻まれてきた世代であり、
それだけに、次世代に賭ける並々ならぬ意気込みがあるのだと知り、納得しましたが。

決して裕福ではない家族が、親戚から借金をしまくり、
母親を「稼ぎ手」「送金者」として半ば強制的に故郷に残して、
「息子の監督者&アドバイザー」たる父親が息子をひきつれて北京へ上る。そして
「ナンバーワンになるんだ!」
を合言葉に、ときには息子に自殺を迫るような極限状態の中で、ランラン9歳にしての音楽院入学を実現してしまう。

それから、コンクールやら、周囲の嫉妬やら、異国で出会う理解者やら…
といったエピソードが、「めくるめく」調子で綴られていきます。

印象に残ったのは、次の二つのエピソード。

・コンクールの練習室で、盲目の日本人ピアニストと出会い、
ともにピアノに触れ、弾きあう中で、音楽に対する新鮮なインスピレーションを得た

・アメリカで、著名な指揮者、音楽家、交響楽団に認められ、協演を求められる存在となり、意気揚々と凱旋帰国公演をしようとしたところ、
「コンクール受賞歴が足りない」「もの足りない」といった反応をされた

……生々しいです。ほんと。

さて、なんというタイミングか、ちょうど昨日、NHKの芸術劇場で、
この1月のランラン日本公演が放送されました。

相変わらずの、オーバーアクション、百面相ぶり、でした。
音楽を味わうには、映像がないほうがいいかも、なんて考えてしまいます。
ほんとに、40代、50代、になっても、このスタイルで行くんだろうか、とも。。。

また、別の意味でびっくりしたのは、
リサイタルのステージで、堂々と譜面台を立てて、譜めくり人まで置いて、
ほぼ「楽譜かぶりつき」状態での演奏を披露していたこと。
曲は、バルトークのソナタでした。

10代で、「どんなときにも暗譜で弾ける協奏曲が20曲ある」彼だったのですが。
ううむ。
若くして大成した音楽家のその後の生き方……いろいろ考えさせられます。

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『日本語が亡びるとき』

『日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で-』水村美苗

日本語、国語を教える立場の者には、大変刺激的な本です。
はっとさせられる内容が散りばめられています。

衝撃的な題名ですが、「英語の繁栄→日本語の滅亡」という一直線の議論ではありません。
明治期に「国語」が生まれることのできた歴史的背景、経緯、などを改めて解き明かし、言語を次の3種に分けて論じます。

〈普遍語〉(「叡智を求める者」の思考共通言語としての書き言葉)
〈国語〉(ナショナリズムの台頭とともに生まれた国家語)
〈現地語〉(いわゆる「母語」としての話し言葉)

かつて、〈普遍語〉といえばラテン語、のちに仏・独・英の3ヶ国語であり、
これらの言葉を「読める」者が、「書き言葉〈普遍語〉」と「話し言葉〈現地語〉」の二言語使用者として、インテリ層を形成していたのですが、
いまや、〈普遍語〉といえば英語の一人勝ちとなり、仏語、独語は、日本語と同じカテゴリーにまでなりさがってしまった、という話。

明治期、日本近代文学黎明期の作家たちが、いかに上記の「ニ言語使用者」たるインテリであったか、という話。
そして、その「ニ言語使用者」たちを通して、「国語で大学教育を行う」ことがいかに達成されていったのか、という話。

そこまでのインテリ、「叡智を求める者」たちの苦心の結果として手に入れた「国語」を、後世の者達がいかにおろそかに扱ってきたか、という話。
文部省、文部科学省が、いかに愚かに「国語を変えよう」としてきたか、という話。

ふりかえって現在の世に、もし漱石ほどの「叡智を求める者」がいたとしたら、果たして日本語で小説を読んだり書いたりするだろうか、という話。

……ひとつ、ひとつが、分かりやすいエピソードとともに説き起こされていきます。
「ほう」「ううむ」と唸りながら読みたくなるような本です。

★教育について述べた箇所をピックアップしてみると…

・日本における〈大学〉とは、大きな翻訳機関=翻訳者養成所として、日本語を〈国語〉という、その言葉で〈学問〉ができる言葉に仕立て上げていった場所である。(p.211)

・それが、今、英語が世界を覆う〈普遍語〉になるにつれ、日本の学問の府は、大きな翻訳機関に留まるのをやめようとしているのである。(中略)特殊な分野をのぞいては、日本語は〈学問の言葉〉にはあらざるものに転じつつあるのである。(p.257)

→【私の「なるほど」!】
日本政府が、「留学生30万人計画」などと言いながら、
国立国語研究所から「日本語研究」部門をなくし、
日本語教育には予算をつけず、英語による授業に予算をつける、といった動きは、
これに連動するものだったのですね。

・学校教育を通じて多くの人が英語をできるようになればなるほどいいという前提を、学校教育の場において完璧に否定する。(中略)インターネットの時代、もっとも必要になるのは「片言でも通じる喜び」なんぞではない。それは、世界で流通する〈普遍語〉を読む能力である。(pp.288-289)

→【私の「諸手を挙げて賛成」!】
インターネットに関わらず、まず必要なのは文法力と読む能力だと私は実感しています。
今の日本の教育政策は、いったいどこへ向かおうとしているのでしょうか?


筆者は、このあと〈読まれるべき言葉〉を読む国民を育てる、という視点を欠いた教育を批判し、現在の国語教育はアメリカの「dumb class (お馬鹿さんのクラス)」の教育に似ているとまで言います。
教育とは、家庭環境が与えないもの、市場が与えないものを与えるものである、
迎合するものではないと。
これまた、賛成!

ただ、今の日本の文学、さらにはハリーポッターブームなどに対する筆者の嘆きには、
共感しかねる部分も。
「読まれるべき言葉」ではない、叡智を求める行為とは次元が違うものという論調ですが、
私自身は「楽しんで読む」文学にも十分意味があると考えます。

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『名もなき毒』

081205namonaki 久々に読みました。宮部みゆき。
最近ちょっと敬遠気味でした
…超能力めいた話題が多くなってきたような気がして。

『名もなき毒』…新刊ではありません。2006年刊。
図書館「貸し出しベスト」1位に興味を持って、借りた次第。

よくできたストーリーでした。
社会的に下位の人々(客観的に見ても悲惨な場合も、
主観的にそう思い込んでいる場合も)の抱く、
階層的に恵まれた人々に対する、悪意、毒。

今話題の、○○省幹部に対する憎悪が引き起こした事件をも彷彿とさせます。

「逆玉」で高階層になった主人公の、ほんわかした「いい人」ぶり、
一般庶民の生活も、財閥の生活も知った立場からの観察ぶり、
なかなか面白く読めます。

冒頭から発生する事件、どれが、どう結びついていくのか、なかなか見えず
サスペンス度高し。
脇を固める人物(定年間近の実直サラリーマン、独身女性編集長、
マスコミで話題になっている新進ジャーナリスト、警察を退職した探偵…etc.)
の描き方も確かです。

この主人公を描く前作もあるようなので(『誰か』)、こちらも借りてみようと思います。

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『北京大学てなもんや留学記』

081125tenamonya 中国、おそるべし、その実態!
……ということを、たいへん明るく、わかりやすく実感させてくれる、生々しい具体例満載、パワー満点の本です。

「なぜ意見を持たない、なぜ分析できない!」
と、中国からの留学生を歯がゆく思うことが多いのですが、なるほど、こういう社会で生まれ、育ってきていたのならば……と、「腑に落ちる」こと多々。

「悪事」の概念が違う(何より「恩を売る」のが肝要、組織上の不正は当然)、
学者が生き残るために必要なのは、研究そのものよりもまず、「政府の顔色を見るという別の処世術」である、……

中国に興味のある方には、一読をお薦めします。

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オーケストラ、それは我なり

081111asahina 朝比奈隆という、一人のカリスマ的指揮者を通して
時代の変遷というものを、まざまざと感じました。

90代まで現役で、ダンディな指揮者を続けた大御所
という程度の知識しかなかったのですが、
いやあ、明治、大正、昭和を体現する人だったのですね。

詳しく論じるのはやめて、心に残っている点を列挙します。

・海外でも著名なエンジニア・研究者の妾の子という出自、それゆえの複雑な育ち方
・中高一貫、日本随一のエリート校での人脈に支えられた人生
・京大卒で、音楽の専門教育を受けずに音楽の道へ進んだという経歴
・棒の振り方といった技術にはこだわらず、自分の存在感、雰囲気で音楽を伝えるという方法
・人心をつかむのに長けつつ、人によっては「いじめ」とも受け取りかねない言動も辞さない自信、そして屈折
・今ではセクハラと捉えられるような、女性団員と男性団員との扱いの差
・題名そのもの「オーケストラ、それは我なり」…オーケストラは指揮者のもの、という発想

どーんと太っ腹で、周囲をひきつける魅力をもつカリスマ的な人間性。
しかし、一つ間違えると、独りよがりのワンマンになりかねないキャラクター。

なんだか、庶民から這い上がった田中角栄の向うを張っての、
インテリの香り漂う、しかし角栄並みのパワーを持つ大人物に会った気分です。
読み応えのある、楽しい本でありました。

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平野啓一郎『決壊』

081010kekkai 今年6月の刊行以来、話題となっていたこの本、
図書館の予約で2ヶ月以上待ち、やっと届きました。

連続殺人事件をテーマとするミステリー

でも、ミステリーと呼ぶには、あまりに重く暗く、
なるほど、芥川賞作家の王道を行くと、こうなるのですね
という感想を抱いてしまうような筆の運びです。

分厚い上下2冊、三晩で読みきりました。
熟読はしていません。斜め読みに近いです。
けれど、その内容の重さ、暗さゆえ、もう一度読み返そうとは思えません。
熟読により見えてくるものは大きいだろうな、という予感はありますが。

弟殺しの容疑者とされてしまう、インテリの兄(作者自身の投影も?)の語り、
そこここに、読者に「!!」と思わせるフレーズが。
そして、その父、母、義妹、叔父、といった親族のふるまい、
それぞれうまく造型されているだけに(読者に媚びるサービスは皆無です)、
やりきれなさが体に沈み込んでいく感覚があります。

信頼って何だろう?
意図を伝えるって、どういうことだろう?

夫の作った秘密のホームページを発見し、書き込みをするようになった妻が、
そのハンドルネームでの交流と、実際の妻としての交流とのギャップに気づき、
思い余って義兄にメールするようになり、夫から二人の関係を怪しまれる結果に。
その後、夫のホームページ現れた新たな常連を義兄だと思い込んだ彼女は、
夫を殺害したのも義兄だと思い込み……

最愛の弟を殺された被害者でありながら、弟の妻から疑われ、
母親やつきあっている女性達からも
「何を考えているのかよくわからない」人間として距離を置かれているインテリ男性。
彼自身としては、接する相手にあわせて自分をカスタマイズするのは自然な行動であり、
それだけに、誰とでも素直に自分をさらけだしてつきあう弟は何よりも大切な人間だったという。
けれど、その弟が実際の悩みを吐露する相手は家族ではなく、ネット上で……

ネット社会、
コミュニケーションの脆さ、危うさに、戦慄を覚えます。

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『望郷のマズルカ』

080803zhufon
森岡 葉
望郷のマズルカ 
激動の中国現代史を生きたピアニスト フー・ツォン』

フー・ツォン
1955年のショパンコンクール3位の中国人ピアニスト

この本を読むまで、彼のことは全く知りませんでした。
フランス文学者である父の生い立ちから筆を起こし、
その父が彼に送った手紙を紹介しつつ、
中国の社会変化の中で、この父子がどう生きたかを書いた本です。

まず、中国現代史について無知だったなあ、と感じ入りました。
文化大革命って、本当に狂気の時代だったのですね。
当時の音楽界を支えていた才能ある人々が、続々と拷問を受け自殺を遂げていたなんて。

また、「教養」が人生に与える深さにも目を見開かされる想いでした。
父の厳しい教育を受け、中国古典文学に深い造詣のあるフー・ツォンは、
音楽のなかに中国古典につながる精神性を感じ取るのだそうです。
たとえば
ショパンの音楽には、李後主という詩人~生死の痛み、民族の悲しみ~を、
ドビュッシーの音楽には「無我の境地」を、
シューベルトには、陶淵明という漢詩人~文人の伝統的な人生に対する感慨~を。

彼のショパンの演奏は、ヘルマン・ヘッセをして
「まさに奇跡だ」
と言わせるほどで、ショパンコンクールでは、マズルカ賞までも受賞しています。
このことについて、父は

「自己の民族の優秀な伝統精神を理解し、自己の民族の魂を持ってこそ、異なる民族の優秀な伝統を徹底的に理解し、その精神に深く入ることができるのです」

と語ったそうですが、なんとまあ深い言葉でありましょうか!

フー・ツォン(1934年生まれ)、今も存命でイギリスに在住し、1年のうち半分は中国で若者の指導にあたっているそうです。
彼の演奏CDもこの本についていましたが、ほんと、特にショパンの演奏は素晴らしい!

図書館で借りたのですが、自分で買って手元に置いておきたいと思う本です。

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「家庭教育」の隘路

本田由紀著
「家庭教育」の隘路 ~子育てに強迫される母親たち~

本田由紀氏といえば、ニート論、就職氷河期の若者論などで活躍中の
新進気鋭の社会学者、東大大学院の先生ですが、
彼女が二人の子の母親で、私とほぼ同世代とは知りませんでした。

この本、小学生の母親たちへの筆者自身によるインタビュー記録と
内閣府実施の「青少年の社会的自立に関する意識調査」
(H17・青少年調査とその保護者調査からなる)とを分析したものです。

その分析の意図は、
1990年代後半以降の「家庭教育」の重要性を声高に語る風潮が、
実は「家庭教育」の主たる担い手である母親たちを追い詰め、
社会にとっても望ましくない結果をもたらしかねない
という恐れをあぶりだしたい、と言う点にあります。

その結果には共感できます。

1)子育て観の差は、アメリカでは、ミドルクラス vs 労働者階級・貧困層
という対立軸で語られるが、
日本では、こうした二項対立ではなく、差異はグラデーション的に表れる。

2)子どもが小学生のころの育て方を見ると、社会階層の高い家庭ほど
「きっちり(勉強や生活習慣を厳格に)」
「のびのび(遊びや体験、希望や意見の表明を重視)」
の両者を追求しようとする傾向が見える

3)「きっちり」子育ては、中学3年時の成績に優位に働きかけ、
その中学3年時の成績は、最終学歴に大きく影響する一方、
子どもが離学後、無業者にならないことに優位に働きかけ、
若者へと成長した子どもの「満足度」が高いのは「のびのび」子育てのほうである

つまり、子どもの学歴を高めたいなら「きっちり」子育てを!
無業者にならず、満足した生き方をさせたいなら「のびのび」子育てを!
ということですね。

本田氏は、
「きっちり」「のびのび」という二つの要素が母親にとって「葛藤」を逃れがたくしている
と指摘し、
「母親はいずれかの側面に力を入れているときには他方が損なわれているのではないかという不安を感じ、常にそのバランスや配分が適切であるのかどうかについて苛まれることになる」
「母親をそうしたジレンマから救い、自分自身の目標に向けての活動にエネルギーや時間を割くことができるようにするためには、やなり子育てと言う課題を母親に委ねるのではなく、社会で広く担ってゆくことが望まれる」

と述べています。

小学校の子育てを終えたところの一母親としての私の実感に沿う部分の
大きい結果だといえます。
ほんと、「きっちり」すべきか、「のびのび」すべきか、というのは永遠の課題です。
夫の実家、私の実家を例にあげれば
一方には「きっちりしすぎ!それでは子どもが萎縮する!」と言われ、
他方には「のびのびしすぎ!しつけがなってない!」と叱られ、、、ふう。。。

本田氏は「家庭教育」が政策的・社会的に強調される昨今の動向について、
次のように結論づけています。

・高階層の母親は敏感に反応し、これまで以上にさまざまな努力を払い始めるだろう。

・ライフコース選択において、いったん子どもを持った母親はさまざまな母親役割に責任を果たそうとし、母親自身の自己実現や社会進出との間の葛藤が深まるだろう。

・その結果、社会格差がさらに広まるばかりでなく、子どものために就労を犠牲にするという選択を助長し、少子化対策や男女共同参画社会の実現にとって大きな障害となるだろう。

私が漠然と感じてきたこと、周囲に愚痴ってきたことを
よくぞ学問的に、明確に、示してくださいました!といった気分です。はい。
しかし、研究テーマと子育てとをしっかりと結びつけ、学者としてバッチリ活躍されている著者には敬服いたします、ほんと。

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『千住家の教育白書』

080404senju_book言わずとしれた芸術家・千住三兄弟(妹)のお母様が
書かれた本です。
「教育白書」とありますが、決してハウツー本ではなく、
千住家の子育て、子どもたち奮闘の軌跡、家族の体験を
鮮やかに描ききったドキュメンタリー、といった趣。

日本画家、作曲家、バイオリニスト。
子ども達全員を、日本を代表する芸術家に育て上げる
って、そこには、どういう秘訣が?
答えは、
「子ども達を信じる」「押し付けない」、見守り、励ます
ということのようです。

幼稚舎から慶応で教育を受け、学者の父、医者の家系の母を持つ三人。
男の子二人が、本人の意志で芸術の道を選んだとき、
「夢を見るな」「安全策を考えろ」「それだけでは食べていけない」
などとは決して言わず、
「本気なら、退路を断って臨め」「我々は信じる」
と見守ることができるか。
博氏も、明氏も、高校を出てからまさに退路を断ち、数年浪人をして、
苦労を重ねたのちに芸大に入ったとは、知りませんでした。
また、その当時に祖父の自宅介護(壮絶です)も担っていたとは。

でも、母は、そうして死と直面した経験が、厳しいナマの体験が、
彼らの芸術を深くしていったにちがいない、と言います。
そういう視点で、ものごとを捉えられる母親です。

真理子さんの小学生時代でのコンクール優勝。
(私と同世代の彼女。私もリアルタイムで見聞きしていました)
その影には、母と二人三脚での実にアカデミックな練習が。
楽譜を色分けし、ばらばらにしてカード化し、
そのカードを用いてテクニック練習をしてから曲作りに入る!
レッスンの際には母も同じ楽譜を持参し、自宅練習に備える

著者は、「私達は決して特別だったのではない」と強調されますが、
私は、やはり両親の聡明さに圧倒されました。

また、皮肉な言い方かもしれませんが、
一流の頭脳、一流の家柄、の家庭に生まれたからこそ、
そして、この両親のもとで育ったからこそ
すばらしい指導者にも恵まれ、才能を開花できた三人なのだな、
とも思いました。

テレビに出演している著名な先生にすぐ会うことができ、
その場で弟子入りを許され、バイオリンも貸与される
…「私達は決して裕福だったわけではない」
というトーンで語られるエピソードですが、
このシチュエーション自体、凡人家庭には考えられません…

父親がアメリカに招聘された際の、何千キロにも及ぶ大陸ドライブが、
幼かった子ども達に、その後の芸術に大きなインパクトを与えた、
というエピソードも然り。

「教育ママ」が否定的に語られる昨今ですが、
自分の価値観を押し付ける教育ではなく、
子どもが求めている教育を見極めて、そのために粉骨砕身する
という意味での、本当の教育ママの姿が、ここにあります。

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『学歴社会の法則』

080318gakureki_2 荒井一博 
『学歴社会の法則 教育を経済学から見直す』

学歴にまつわる現象、
教育現場で起きていること、…
多岐にわたるトピックについての論考で、
論理的に納得させられる内容でした。
「知らなかったことに、新たに気づいて」というより
「直感的に認識していたことを、
理路整然と説明しなおしてもらって」の納得。

研究者の名前や理論名も明記する、正統派路線。

☆高学歴者はなぜ高収入を得る?

理論1「人的資本論」:高い教育は人的な生産能力を上げるから
理論2「シグナリング理論」:学歴は「見えない能力」を示すシグナルだから

1の理論なら、実施されている教育内容が重大ですが、
2の理論では、教育内容よりも選抜が重要となります。
1をおろそかにし、2を重視すれば、社会全体に不利益が…

例えば、入試での偏った出題、難問奇問、に対処するため
高校での履修漏れ問題、塾通いが起き、
「バランスのとれた優秀な人材」が報われないことに。

また、教育は、それを受ける個人が受益者となるのみならず、
コミュニケーション力、指導力、規律性などを生み出し、
社会全体の便益となるものなのに、
この点が、見逃されがちに。

その他、親の学歴が子どもに及ばす影響は、
社会の成熟度によって変化する、との研究結果なども。

最後に、筆者自身の「教育改革」提案がなされます。
ざっと斜め読みしただけですが、

・数学の良問は学問の基礎。大学入試必須にせよ。
・英語教育を論じるなら、
  まず国の責任で良質の辞書を完成させよ。
  英語学習歴と能力を調査し、客観的に分析せよ。

といった主張に共感を覚えます。

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『アメリカ下層教育現場』

080315amerikakaso授業の教材を探そうと、
教育、若者関係の新書を検索していて
出会った本です。

アメリカのチャーター・スクールの高校生に
Japanese cultureという教科を
非常勤講師として1学期間教えた体験を綴った
ルポルタージュ。

筆者は教員ではありません。
アメリカ在住のフリー記者で、
大学の恩師から請われて引き受けた仕事です。

さすが、本職がライターだけあって、
授業で起きたことどもが生き生きと描かれます。
「上から目線」でも、「被害者意識モード」でもなく。
善人ぶることも、悪人ぶることもなく。

実はこれ、とても難しいことです。
私自身、こことそっくりな(生徒の家庭崩壊はこれほどではありませんが…)
高校、生半可なやり方では授業のなりたたない学力底辺校で
教師としてスタートしただけに、よーくわかります。

とても好感のもてるスタンスの本でした。
一気に読ませる力があります。

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『5年3組リョウタ組』

080309ishidaira息子に借りて読みました。

石田衣良 『5年3組リョウタ組』

子どもの視点から描く小学校ではありません。
担任の若手教師の奮闘ぶりを描くものです。

・教師間の人間関係(協調、そして、いがみあい)
・学校と家庭の関係
・学校とマスコミの関係
・学級運営と教科指導
・教師の個性と人生計画……等等、内容盛りだくさん。

世の中の動きを巧みにとらえたストーリー構成で、
大人がストレートに共感できる内容となっています。
若手教師の描き方も自然です。
学校ものにありがちな「ウソっぽさ」は感じません。
そして、さわやかです。

私は、まさに一気に読み通してしまいました。
読ませる力のある小説です。
20数年前、私自身が教師生活をスタートさせた頃のことを
久しぶりに、まざまざと思い出しました。

「結構おもしろかったよ!」と言っていた息子、
いったい、どのあたりに共感し、楽しんだのやら……

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『すべては音楽より生まれる』

080307mogi_book 「熱狂の日」音楽祭のオフィシャルグッズとのことで、
読んでみました。
言わずと知れた、気鋭の脳科学者・茂木氏ですが、
この本の内容は……薄かったです。

あとがきを読んで、納得。
執筆した本ではありません。
茂木氏が話したことを、編集者がまとめたもの。
「脳とシューベルト」という副題は、とってつけたよう。
ほとんど茂木氏の思い出話、エッセイです。

茂木氏にとって、音楽は、研究を進めるうえでの大きなヒント、牽引力であり、充実した生活に不可欠である
ということは、よーくわかりました。

・考えることにおいて重要なのは「リズム」だと思っている。
・脳内でいい音楽が満ちている時は、泉のように発想が湧いてくる。
・端的にいって、頭がいい人とは、脳の中にいい音楽が流れている人だと思う。
(p.111)

こんな感じです。
なるほど、とは思いますが、個人的体験談・主観的感想にすぎません。
新書にふさわしいものなのか、どうか…

印象に残ったのは、本文よりも巻末
「熱狂の日」音楽祭の音楽プロデューサー、ルネ・マルタン氏との特別対談でした。

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『フラミンゴの家』

080211framingo この1月に刊行されたばかりの1冊、
図書館の「新しく入った本」コーナーでゲットしました。

『フラミンゴの家』by 伊藤たかみ

核となる登場人物は、
田舎でパチンコ&スナックを経営する一家の長男、正人。
そして、正人の娘で小学6年の晶。
実は、正人、
離婚後、都会から実家に舞い戻ってきた経歴の持ち主。
晶の母(正人の元妻)がガンの手術、という緊急事態で
長らく会わなかった娘を夏休みの間、預かることになり…

この間のドタバタ、人間模様、心の葛藤が、描かれます。
共感できる要素が、てんこ盛りです。
「読ませる」力のある、熱気をはらんだ小説でした。

・田舎の描写:
元ヤンキー的なファッション、駐車場わきの精米機、さびれたファミレス…

・商店街の熱っぽさ:
小学校時代からお互いを知り尽くした、幼馴染の店主同士のケンカあり、
夏祭りの準備から当日までの、熱っぽい盛り上がり、子どもじみた興奮あり、
さびれていく商店街でも、めげない水商売仲間のパワーあり…

・下町の人情:
正人の恋人、元ヤンキー・あや子と晶の「ともだちみたい」なあったかい関係、
現ヤンキーの高校生や、店の使用人に向けられる親身なまなざし、
そして、正人の周囲の人々に共通する、不器用で真っ直ぐな人情。

・商売人のしたたかさ
ヤクザとの駆け引き、賄賂、意地、弁護士や政治家とのつながり…
同じ町に生まれ、もまれ、あがきながら、その町にガッチリ根を張り、
二世代、三世代と人間関係をつないで、勝負に出て生き抜く庶民群像。

そして、死。
晶の母が死を迎えるラストに向かって、心に残る描写が続きます。

作者の伊藤たかみ、
どこかで聞いた名前だな~、と思ったら、
角田光代の夫で、昨年の芥川賞受賞作家だったのですね。
この本、児童文学の香りもして、少女晶の成長物語と読むこともできます。

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『有頂天家族』

080103utyouten_2 こいつあ春から……といった縁起のいいタイトルで
今年初のブックレビューを。

直木賞候補になった『夜は短し歩けよ乙女』(→
にハマった息子へのクリスマス・プレゼントとして買った本です。
350頁以上を二日で読み終えた息子いわく、
「オレにとって、今年(2007年)一番のヒット作!」
とのことで、
私にも読め、読め、とせっつくので、このお正月休みに読んでみました。

確かに、楽しめます。
このタイトル、よくぞつけたり!喝采!といった感じ。
実は、この「家族」、タヌキの一家です。
タヌキは平安時代から人間に化け、人間とともに京都の歴史を作ってきた
というファンタジー小説。
主人公一家のモットーは……「面白きことは良きことなり!」
「阿呆の血のしからしむるところ」の騒動オンパレードで、ぐいぐい引き込まれます。

ということで、なかなか知的なギャグも満載。
「樋口一葉」を四字熟語と思い込む、主人公の敵役タヌキの言い草は
「樋口一葉というのは、雨樋の端に濡れた枯葉が一枚ひっかかっているということさ。秋の淋しさを表した四文字熟語だ。僕は本で読んだことがある」
……ワタクシ、ウケてしまいました!

奇妙奇天烈ワールドは、『夜は短し歩けよ乙女』と同様で、
空から達磨が降ってきたり、虎がライオンにかみついたり、電飾電車が宙に舞ったり、
にぎやかなことこの上なし。
登場人物(寿老人)、キーとなる小道具(偽電気ブラン)も共通していたりして、
『夜は…』を読んでいると、重層的にも楽しめます。

ガチャガチャと賑やかな道具立ての中で、スジを通しているのが
「家族愛」、そして英雄だった父の死をめぐる謎解きです。

楽しく愉快に「有頂天」気分になれると同時に、
家族愛についても、ちょっとしんみり考えさせられたりしました。

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外国人トップの仕事術

フランソワ・デュポア著
『日本人には教えなかった外国人トップの「すごい仕事術」』

慶応大学で「キャリアデザイン」を担当する著者は、
フランス出身の作曲家であり、マリンバ演奏家でもあります。
その彼と、カルロス・ゴーンをはじめとする外国人トップとの対談集。
印象深かったコメントを抜き書きします。

<日本の若者の強み>
★日本の若い人たちは、精神的にとてもオープン。
開放的だし、好奇心もあるし、世界に対してマインドが開いている
日本人というアイデンティティを持ったまま、オープンな状態でいられる。
通常、アイデンティティが強くなると、異質なものを排除するようなことが起きがちだが、日本ではそれがない。
規律、忠誠心、献身的な取り組みといった特徴的なものを上の世代から引き継ぎ、アイデンティティも独自文化もあるのに、欧米やアジア、中国で起こっていることにも関心がある。このオープンなマインドは、日本の若者の持つ大いなる強み、大切な強みだ。
(by ゴーン氏)

★若者に限らず、日本人一般について、基本原則として、とにかく何でも反対意見をまずは出してみる、という性質を持っていない。
フランス人は、とりあえず上司の言うことには反対をしてみる、それが原則だから、という理由で口を開くことがあるが、
日本では、上司に反対意見を言う時は、ほかにやり方があるから口を開く。
これは生産的だ。こうした日本式コンセンサスは好きだ。
また、正確さ、ディテールや見た目への配慮がある。
日本人は基本的に目に見える美を賛美する国民だが、これは仕事にも現れている。
日本人自身が思っているよりも、日本人ははるかにクリエイティブな国民だと思う。
(byコラス氏 シャネル日本社長)

「日本の若者は……」という文脈で語られるとき、
とかく自虐的、否定的な論調が多いように感じますが、上記のようなコメントもあながち的外れではないな、と思います。
そうだ、美点をもっと自覚しようよ!と思うわたくし。

書名のとおり、外国人トップの方々5名が登場するのですが、
印象的だったのは、どの方も
「若いうちから今の道を目指していたわけではなく」
「偶然が重なって」今のポジションに着くことになった、と口を揃えている点。
筆者自身が、音楽家への志半ばにして転身を図っていることとも連動するのでしょうが、
若いうちから「一つの道を思い定めよ」と強いる必要はないですよね。

若い人に向かって、
「夢は何?」
「何がしたいの?」
と問うてばかりいるのも考えものだな、と思います。
それよりは、
その場、その場で、モチベーションを高めていける能力、
チャンスを逸せずに行動できるだけの自信を鍛えたほうがいいぞ!と。

仕事術、というタイトルですが、それよりは
「しなやかに生きようよ!」メッセージ集、といった趣の本でした。

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コッソリ読書は蜜の味?

息子ネタです。
今週、彼の勉強机から取り上げた本たち……

・乃南アサ 『ボクの町』
・乃南アサ 『駆け込み交番』
・北村薫 『覆面作家の夢の家』
・北村薫 『覆面作家は二人いる』
・赤川次郎 『セーラー服と機関銃』
・赤川次郎 『セーラー服と機関銃・その後』
・宮部みゆき 『パーフェクト・ブルー』
・宮部みゆき 『今夜は眠れない』
・宮部みゆき 『とり残されて』
・宮部みゆき 『寂しい狩人』
・重松清 『エイジ』
・はやみねかおる 『オタカラウォーズ』
・松原秀行 『パスワード悪魔の石』ほか、パスワードシリーズ本数冊
・三崎亜記 『となり町戦争』
・横溝正史 『名探偵金田一耕介①仮面城』
・蒔田光治・林誠人 『トリック the novel』

勉強するフリして、こっそり読んでいるのを見つけ次第、
とりあげちゃ、積み上げ、積み上げ、していったら、すごい高さに。
初めの6冊は図書館で借りてきて、もう返却するとのことで、
(取り上げた中から、スキを見つけて引っ張りだしては読み続け…)
最初から最後まで読み通したようです。
残りについては、手持ちの本の「つまみ読み」だと思いますが、
それにしても、一週間の間に、よくぞ読んだものです、彼。

小学校6年生というと、
児童書では物足りなく、大人の本には手を出しにくい微妙な時期。
友人からの情報、親の助言、本屋や図書館での立ち読み、
はたまたネット上の情報などを使って、本を探してくるようです。

……親に隠れて、勉強のフリして読書三昧……

私自身、身に覚えがありすぎることだけに、
真剣には叱れないでいるのも、息子のコッソリ読書に拍車がかかっている一因?

ま、「親が取り上げる」なんてことができるのも、あと数年なんでしょうから、
しばらくの間、「隠し通そう」vs「取り上げてやる」の攻防を楽しもう(?)と思います。

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荒俣宏『日本妖怪巡礼団』

070923aramata ひょんなことから、友人に借りた本です。
表参道、六本木、といった場所をお散歩しながら
「こういう地名の由来って……」という話になり、
「あ、それなら面白い本が!」と薦められたのが、これ。

「著者から想像できるように、ちょっと何と言うか、
オカルトチックだし、眉唾っぽい話も多いんだけど…」

とのことでしたが、なんの、なんの!
四半世紀前(!)、国文科の近世文学史&近代文学史の時間に講義のスパイスとして聞いたような話がた~くさん出てきて、妙に懐かしくなりました。

編集者やカメラマン達が、巡礼団と称して東京+αの怪奇譚スポットを訪れ、それを写真とともにルポするという形式で書かれたものです。

「元麻布のマンションの庭に残るガマ池」
「むじなの紀伊国屋坂。右が松平屋敷」
といったキャプションつきの写真と、文献を根拠とした解説文。
例えば、室町時代から文献に出てくる「タヌキ囃子」の理屈づけは、次のよう。

・「タヌキ」=「狸」の漢字は中国から入ってきたときには「野のネコ」だった。
・中国での「タヌキ」は、「貉(かく)」で、これを日本では<むじな>と読んだ。
→かくして、タヌキ=ムジナ=妖怪となった。

収穫祭のシーズンである秋に、遠くの祭囃子が大きくひびくのを聞いて
「夜中にタヌキの送り囃子が聞こえ」たとなるのも、むべなるかな。。。というわけ。
どうしてタヌキ、化けタヌキが「音を出す」という特色をもつかというと…
どうぞ本書でお確かめください。

「むかしは、日本人なら誰でも妖怪を見ることができた」
「なにを隠そう、江戸時代の人たちは妖怪や幽霊を見る技術を、ちゃんと知っていたのだ」
という、むかしびとを先祖に持っていること、
日本土着の固有の文化を、しっかり背負ってもいること、
それがなんだか「可笑しくて」、でも「ちょっと誇りに」思えちゃう、
「てへへ」って頭をかきながら、「てやんでえ、こういう感性もあるってことよ」
と居直る江戸っ子の姿が浮かんできてしまう…

オカルト、→、新興宗教、胡散臭い、危険、逃げろ!
という図式しか思い浮かびませんでしたが、この本の路線には共感。
「美しい日本」なんて、空虚な抽象概念をふりかざすより、ずっと健康的な日本論につながると思いました。

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演奏の手引き(全音)

全音楽譜出版から<演奏の手引き>シリーズというのが出ているのをご存知?

Img●ドビュッシー・プレリュード
●シューマン・子供の情景
●ショパン・ノクターン
●ブラームス・性格作品
●モーツァルト・ピアノソナタ
●アルベニス
●ハイドン・ピアノソナタ
●シューベルト

この中から、シューベルトとアルベニスを買ってみました。
B6版と小型なので、持ち運ぶには便利です。
一方、それだけに情報量は薄く、曲の演奏にあたっては、ほんとに「ちょっとしたヒント」が得られるといった程度。

シューベルト版を読んでいて、共感したところを抜書きします。

★シューベルトはステージで名人芸的技巧を披露して聴衆を湧かすタイプのピアニストには関心がありませんでした。シューベルトの音楽は、目的にそぐわない過度なフォルテッシモや、過剰な装飾的華やかさは備えていないことを心に留めておくことが大切です。(p.42)

★(後期ベートーヴェンの曲想表現の指示は、シューベルトのどの作品より細かく多い)
…シューベルトは彼が欲する音楽表現は必要最小限に留めているのであり、彼の意図するところをどのように表現するかは、成熟した演奏者に任せているのです。(p.61)

★(即興曲Op.142,D.935について)この曲はくり返しが多く、いつも予測可能な長調、短調のシフトが連続するため、聴くよりも、弾くほうが楽しいということは、大勢のピアニストが合意するところです。(p.125)

上記3点、現在譜読み中の曲(3つのピアノ曲 D.946)にも、ぴったりあてはまります。
弾いているぶんには楽しいのですが、「聴かせる!」のは、かなり難しそう……

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小菅優・著

070911kosugeyu_book_2 小菅優のCDにシビレたついでに(→
図書館で借りてきました。彼女のエッセイ
情熱のカデンツァ』

2005年9月発行ですので、最新刊とはいえませんが、
若手音楽家の日常、思想が素直に綴られていて、
読み手側も素直に読みすすめることができました。

(音楽家の文章って、往々にして
「私、こんなに凄いんです!さすがなんです!」
というトーンが鼻につく場合がありますが、
これは、そんなことありませんでした)

確か、NHKの番組「トップ・ランナー」で、
「ドイツ語が一番話しやすい。日本語のインタビューは、いったんドイツ語に訳して答えるような感じで、ちょっと不自由。今は日本語より英語のほうが聞きやすいかも」
といった発言をしていたと思うのですが、この本、見事な日本語で綴られています。
音楽の才能と語学の才能って、脳科学的にも関連性が深いという話を聞いたことがありますが、さしずめその実例ってところでしょうか。

表紙を開けてすぐの冒頭、フォトアルバムになっていて
ここのキャプションが、本の内容を象徴しています。

1)エモーションとレーションのはざまで
2)ヨーロッパをまわる、ピアノひとり旅
3)22歳の伝達者が、羽をたたんでひと休み
4)耳を澄ませ、真実の追究を

1)については、素人の私も苦労しているところ。
エモーション(感情)とレーション(理性)の両方が重なり合っている演奏をしなければいけないのだけれど、そのコントロールが難しい、ということです。

彼女の場合は、
「あまりに自分の気持ちを表現したくて、感情を込めすぎてしまいがちの私は、息が荒くなり、ときおり手のコントロールを失ってしまうことがありました」
「いろいろ悩んだ結果、それを直すために、私は、声楽の先生につき、呼吸の仕方やリラックスの方法を習いました。のちになって、これがとても役立ち、うまくバランスがとれるようになりました」
とのこと。
近視眼的にピアノだけに没頭しているのではない、しなやかさ、さすがです。

4)についても同様で、実は「耳」だけでなく、あらゆる感覚を研ぎ澄ませている
という、大変理知的な彼女のスタンスが印象的でした。
美術(例えば、カンディンスキーの絵)を見て、それを音楽で表現するとか、
哲学書を好んで読む、とか、いろいろなエピソードが語られています。

この頃、お母様を急病で亡くされるという辛い体験をされていたそうで、
多忙の若い身で、それを乗り越えようとしていることにも、ハッとしました。

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『夏の庭 The Friends』

070820nastunoniwa 「夏休みにお薦め」というコピーをみて、
息子にいいかも、と借りてきた本。
息子いわく、
「まあまあ、かな。」

読んでみて……なるほど。確かに。
3人組の少年(この3人の造型、ちょっとステレオタイプ)が
「死」というものに関心を持ち、
ある老人が一人でひっそりと暮らす家を見張るようになる

というところから物語はスタート。
「見られている」意識から、しゃっきり変身(?)するお爺さん、
少年たちはといえば、お爺さんの指示でシャキシャキ働いちゃったりして、
いろいろな話を聞いたり、新しい体験をしたりするなかで
お爺さんの「一人暮らし」の経緯を知り、「ご対面」演出に動き出したり…。

こういった交流は、とっても自然にほのぼの描いているのですが、
ストーリーが動くとき、展開があるときの「必然性」がちょっと弱いかな。
おおっ、なぜそうなる?唐突に!
といった印象が否めない。。。

でも、夏休みのいま、骨休み気分で読むにはちょうどよい本でした。

湯本香樹実って、初めて読んだのですが、音楽大学出身なのですね。
オペラの台本を書いたのがきっかけで、作家の道に入ったとか。
この本で、児童文学の賞をいろいろとっていて、映画にもなったとか。

児童文学を読んで、ちょうどいい気分の私……老化現象の始まりか?

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『卵の緒』

070817tamagonoo_2息子推薦の本。

典型的、模範的な家族でなくとも、
いろんな発見をしながら
成長していけるんだな。

ちょっと意地悪しちゃったって、
ぎくしゃくしてたって、
時間とともに、いい関係が築けるんだな。

ほんわか、さわやかな気分になれます。

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篠田節子『讃歌』

070809sanka 読みごたえがありました。
「ヴィオラ」という単語が出てきていたので、「あ、音楽関連の小説だ!」と借りてきたのですが、

芸術とは?よい演奏とは?感動させるとは?

ということについて考えさせる、直球勝負の小説です。
でも決して固い話ではなく、ミステリータッチで大いに楽しませてもくれます。

クラシックには疎いマスコミ界の人間が、ある日友人に薦められたヴィオラ・リサイタルに癒され、涙が出るほど感動し、そのヴィオリストをとりあげたテレビ番組を制作、放映する

というところから話が動き始めます。
ただ純粋に音楽に没頭し、人々を癒すことに喜びを見出している純粋な女性…
10代で天才少女と呼ばれ、米国留学を果たしながらも挫折した彼女が
40代後半で花開く

「いい話じゃな~い!」
では済まないのです、これが。

一般大衆の礼賛→専門家からの非難→芸術家としての苦悩
角度を変えることで全く違って見える、留学以降の生活…

ちょっと、フジコ・ヘミングを彷彿とさせます。
(彼女もたしかTV番組でとりあげられてブレイクしたのですよね?)
とはいえ、彼女よりずっと繊細、ストイックに描かれているのがこの小説の主人公。

お薦めです。

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『大いなる聴衆』

070805oinarutyousyuu 永井するみ『大いなる聴衆』。

ベートーヴェン・ソナタを聴きに行く日、
その前に出席した研究会までの車中で読もうと、手にとった本です。
縁ですねえ。
ベートーヴェン・ソナタ「ハンマークラヴィーア」をキーワードとする内容の音楽ミステリーでした。

第一線で活躍するピアニストが、愛娘への腎臓提供を前に、見事な「ハンマークラヴィーア」を披露し、一大ブームを巻き起こすが、娘の死を契機にこの曲を封印してしまう。
この彼を学生時代から見守ってきた同級生の音楽エージェントが、地元札幌での音楽祭の目玉として彼を招聘。
ベートーヴェン・ソナタの連続演奏会を音楽祭の目玉に据える。
その演奏会直前。どう薦めても弾こうとしなかった「ハンマークラヴィーア」に曲目を急遽差し替えたピアニスト。
その演奏はひどい出来だったというのに、連続演奏会の曲目すべてを「ハンマークラヴィーア」に差し替える。
その理由は、婚約者を誘拐した誘拐犯からの脅迫状。
「ハンマークラヴィーアを弾け。しかも完璧に」だった……

犯人や動機を探るミステリー性はもとより、
音楽の世界の内実描写など、緊迫感に満ちていて、なかなか読み応えがあります。
指導者と弟子の関係、音楽家の血筋と家族関係、音楽コンクールの裏側、天賦の才をめぐる学生の葛藤、進路選択…

作者の永井するみさん、東京芸大音楽学部(ピアノ科)中退という経歴の方だそう。
なるほど、楽曲分析の引用など本格的なわけです。
ハードカバーで全402ページという大部の本でしたが、ぐいぐい引き込まれ、あっという間に読み終えました。

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『七夕しぐれ』

070731tanabata 熊谷達也『七夕しぐれ』

「史上初の直木賞&山本周五郎賞ダブル受賞作家が差別問題に正面から取り組んだ、魂に響く成長譚」
という説明を読み
「これは息子にいいかも……」
と、借りてきた本です。
けれども、あまり息子の気を惹かなかったようで
1週間以上放っておかれていました。
(その間に、私のほうが、この本の隣にあって借り出した
『虹色にランドスケープ』を読んでしまった訳です…)

しかし、先週末、息子は一気に読んでしまったとのこと。
そういえば、妙な質問を連発していました…
曰く、
「エタ、ヒニンって、いつの時代からいつの時代までいたの?」
ママの時代、切手集めの趣味って、はやってた?」
「うりかけちょうって何?」

売掛帳、と判明。
確かにこの響き、「勧進帳」とかに似てますねえ。江戸時代の響きかも。
それにしても、「ママの時代」という言葉を「江戸時代」と同列に使っていないか?
売掛帳で本が「好きなだけ買える」ということに羨ましさ、好奇心全開の息子。
彼には、昭和と江戸が「同じ程度に昔」と感じられるのか……

……話が脱線しました。
この『七夕しぐれ』は、昭和40年代に小学校5年生だった男の子の成長譚。
引越し先で、差別問題をごくごく身近に感じることとなり、
差別される側の友人二人と組んで、いやがらせをしかける同級生、「ことなかれ主義」で誤魔化す大人たちに対抗する
というお話。

この本の主人公、
迷ったとき、悩んだときには、次の言葉を拠り所として行動します。
「なにが正義なのか、カズ坊が自分の頭で考えるしかないんじゃないの」

なるほど。ドンピシャリのアドバイス。
夜の繁華街で働く「安子ねえ」の、粋でカッコいい発言&行動が光ります。

最後の「3人で組んで、行動に出る」までの下りは、なかなかわくわくさせる展開
(新聞委員の主人公が新聞発行差し止めを受ける→仲間3人で隠れての謄写版印刷→放送委員の仲間が放送室占拠&アジを流す→屋上からのビラ撒き……)です。
息子が
「おおーっ!そういうでっかい話になるか!そうくるか!」
と叫んでいたのは、これだったかと納得。

さて、彼らが計画どおりに行動後
「結局、私たちの正義が勝ったのか負けたのか、どっちなのかはわからない。というより、そもそも正義には勝ち負けなどなく、貫けるかというかの問題だけなのかもしれないし、正義を信じることができるか否か、がすべてなのだ、とも思う。」
とあります。

息子が妙に「正義」という言葉を使いだしたのはこれだったか、とも納得。
あ、それから
「小説と随筆って、どこが違うのか、わからなくなった」
という発言にも。
この小説が、自分の実体験を思い出してつづっている随筆なのか、
プロットを立てて書いた小説なのか、わからない
ということだったのですね。

ま、いろいろ考えるきっかけになったのなら、よかったでしょう。
私も結構楽しめました。

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『虹色にランドスケープ』

070723landscape 通勤時間用に、軽く読めた本。

バイク関連の、短編集かな…と読み始めたのですが、
なかなか凝ったプロット。
各短編の登場人物が、少しずつ重なっていくのです。
それも、当然のごとく、ではなく。
「あれ?この人の発言に出てきたのは、前の短編のあの人だったっけ?」
というぐらいの、淡い、重なり方。
それが積み重なっていくことにより、重層的な人間関係、その人の歴史がやっと見えてくる。。。

また、同じ人物ではあっても、その人物を捕らえる角度、描き方が、短編によって微妙に違うのです。
「ああ、光のあてかたによって、こうも違って見えるのか…」
といった感慨も生まれます。

ただ、全体をまとめあげる「結束力」はいまひとつ。
下手をすると、
「ええっ、前の短編で、あんなにいい雰囲気だったあの人が、実はこんな人になっちゃうの~!」
という幻滅感も。
この幻滅感、実は、最終話において一番大きかったりして、
読後感さわやか、とはちょっと言いがたい…
「それは唐突でしょう~!」と、無理感ただよう筋書きも、そこここにありますし。

短編を丹念につなぎあわせて、最後にさわやか&見事な大団円…
といえば、やはり重松清の『きみの友だち』がピカイチかな。

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『夏休みのサンタさん』

070711santasan 通勤電車の中で読みやすい、薄い文庫本…
という安易な選択で手にした本です。

定年まであと5年となった、銀行員の夏休み。
「北海道のホームに入る」
と言い出した同居の母を、キャンピングカーで送っていきます。
同僚から借りたキャンピングカーが、
クリスマス・パーティーのままの装飾となっているのがミソ。

ロード・ムービーさながらに話が展開していきます。
競馬での一攫千金を夢見た若いカップル。
彼らが早合点で捨てた馬券(実は3000万円の当たり券)を拾った9歳の少年。
その3人が、銀行員&老母の旅の道連れとなり…

少年が、幼稚園の先生の話を根拠に、銀行員を「夏休み中のサンタさん」と信じ込んだのが題名の意味するところです。
よくある、あまったるい、夢物語かな、と思いきや、どうしてなかなか、読ませます。

早くして父を亡くし、母の手一つで育てられた銀行員が、定年を前にして「人生を振り返る」折に覚える苦々しさ、
揺れ動く母の心情と、彼女の老いを自覚させるさまざまな出来事、
東京の自宅に残った家族(ワインの営業職に励む妻、結婚間近の長女、そして次女)の描き方
それぞれが、巧みです。中でも、母に見捨てられたかのような9歳の少年と「夏休みのサンタさん」の交流には、ジーンとなります。
ラストシーンは、圧巻。

作者の井沢満は、「青春家族」や「外科医有森・・・」シリーズで有名な脚本家です。
ロード・ムービーさながらの展開も、むべなるかな…。

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『夜は短し歩けよ乙女』

070710arukeyootome ずいぶん前から話題になっている本ですね。
直木賞候補作にもなっています。
図書館で予約して、2ヶ月待ちで手にしました。

のっけから
懐古趣味的な語調、歯切れのよい文体で畳みかけられ
読み初めは「???」と、あっけにとられます。
が、あっという間に、独特の世界へと、連れ出されてしまいました。

大学の後輩たる黒髪の乙女に恋した「わたし」。
その彼が語る、彼女を追い求めるがゆえの可笑しくも真剣な行動。
そして、その可憐で生真面目な乙女の側からの語り。

この二者が交互に「わたし」として登場し、物語が進行していきます。
パッパッと、場面が、コマが、切り替わるように。
とても視覚的、映像的な話の流れです。

また、印象的なのが、不可思議な雰囲気を醸し出す、愉快な小道具たち…
偽電気ブランのお酒、三階建電飾の電車、竜巻に巻き上げられる緋鯉、古本市の神様、神出鬼没の丸くて小さな達磨(だるま)、韋駄天コタツ、…

縁日の、古典的な「赤い」電飾カラーに彩られた、ファンタジック・ストーリー。
今、私と息子の間では、
万能のお祈りの言葉「なむなむ!」がブームとなっています♪

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八日目の蝉

070616book 角田光代の小説、最初に読んだのは、「秘密のない」がモットーの家族の姿を暴いていく『空中庭園』で、
読後に鮮烈な印象を残しつつも、その密やかな「毒気」、そして希望の見えない終わり方に、やりきれなさを覚えたものでした。

その後、いわゆる淡々とした日常生活を描く作品をいくつか読みましたが(→
この『八日目の蝉』が描くのは、いわゆる日常ではありません。
描かれるのは、
乳児誘拐犯の30代女性と女の子の逃亡生活。
そして、誘拐され、保護された女の子が成長してからの葛藤。
そこに、新興宗教、地上げ屋といった社会現象、
そして、友人関係、地縁関係、家族関係といったつながりを盛り込んでいきます。

「八日目の蝉」とは、7年間地中で幼虫として過ごした末に地上へ出て、
たった七日で死んでしまうと言われる蝉が、1匹だけ八日目だけ生き残っている。
その1匹だけ残った蝉のこと。

この蝉を「1匹だけ残されて不幸。気の毒」と見るか、
「他の蝉には見られなかった八日目が見られて、ラッキーな面もある」
と見るか。

読んだ直後よりも、しばらくたってから、いろいろ考えさせられるような小説でした。
内容、濃いです。

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きみの友だち

070614book_kimino 心に沁みました…

まず、息子が読んで
「これ、いいよ。読んでみたら。」
と言っていた本です。

薦められたものの、ざっと見たところの
いかにも学生学生した会話文などに、いまひとつ
食指が動かずにいました。
たまたま、今日ちょっと遠出した折、
電車内読書用にと持ち出して…
一気に読了!

電車の中で、不覚にも涙が出そうになること数回。

学園生活といえば、定番の「イジメ」「劣等感」「ライバル心」「男女交際」などを扱っていながら、生々しくなく、空々しくなく、道徳チックでも、押し付けがましくもなく。

透明サイダーのような味で、胸に沁みます。
読み終えると、ふうっとため息をついて、「よかったね」「そうだよね」と思います。

ガサツな小6男児の心にも、響くものがあったとは!
と、ちょっと息子を見直しましたが、
彼にヒットしたものは、どうやらストーリー主題というより
「最後に書き手の正体がわかる」という構成であったようでした。

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最近読んだ小説

「血わき肉おどる」系ではなく、割と淡々と読み進められて、あとからジワジワくる、といった点で共通していたような気がします。

角田光代『夜をゆく飛行機』

地味な酒店の四姉妹の末娘、大学浪人生里々子が淡々と描く、彼女と家族の日常。
才能があるわけでもないのに作家デビューしてしまう次姉、彼女をめぐる人間関係、
恋愛と呼べそうな、呼べないような、大学生とのつきあい…
里々子の淡々としたスタンスは、ポジティブとか向上心とかとは無縁で、水墨画的ともいえる色調。
でも、最後のシーン~姉と一緒にベランダで空を眺める~には、ほのぼのとした一体感とでもいうものが感じられて、ああ、これって、やっぱり家族を描く小説なんだ、と思いました。

長嶋有『夕子ちゃんの近道』

骨董屋でアルバイトしながら、その倉庫に居候する「僕」と、その職場や生活圏で接する人々との物語。
肩の力の抜けたスタンスで、血縁関係ではない、微妙に近しい人間関係が描かれます。
最後のシーンでは、この緩いつながりの人々がフランスに集結して……
縁っていいな、と、ちょっとホンワカさせられます。

桐野夏生『魂萌え!』

TVドラマ、映画化されて話題になっていたんですね。知りませんでした。
夫に先立たれた専業主婦が、夫の秘密に憤り、息子や友人とギクシャクしながら、「毒にも薬にもならない」と言われた従来の自分のキャラクターから脱皮していく…といった物語。
ドラマや映画では、この主人公が「華麗に変身していく」さまが注目されたようですが、
私としては、未亡人が直面する些事をめぐっての葛藤が印象に残りました。

篠田節子『ロズウェルなんか知らない』

田舎の町興しに、ひょんなことからUFO伝説をでっちあげてしまう地元青年&移住青年たちのストーリー。
オカルトチックというよりも、ネット上のうわさ、マスコミ、芸能人などに振り回される素朴な青年たちの必死さと可笑しさを主軸としています。
町興し、オカルトブーム、マスコミのやらせ疑惑、バッシング……こういった社会現象を取り込むのが上手ですね、篠田節子。

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北村薫『スキップ』

縁ですねえ。。。
旅行に持参せんがため、図書館で目についた文庫本、活字中毒の息子でも読めるかも…というだけの理由で借りたのでしたが。。。

まずもって身につまされました。懐かしくなりました。
なぜって
公立高校が舞台で、主人公はその学校の女性国語教師。

北村薫の作らしく、すがすがしい女性なのですが、この本では特に、極めて。
なぜって
平成の世の「42歳の教師」の体に、昭和40年代の「17歳」の女子高生がタイムスリップして入ってしまう、という設定。
この主人公、ほんとうに真っ直ぐで清潔な感じ。

時代背景、舞台設定、登場人物
すべてに感情移入できてしまうとあって、そこかしこで、ほろりとしたり、じーんとしたり。
心に残る作品になりそうです。

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篠田節子again

旅行中に、読みました。篠田節子の小説。

『マエストロ』

美貌の若き女性バイオリニストが、パトロンを得てメジャーになるものの
実力への不安を抱え、熟考ののちにとった行動がすべてトラブルのもととなり…
というストーリー。
社会派小説といえるでしょう。

「弟子をとる」ということと「学校の教師として教える」ことの差、
(金銭授受が「当たり前」vs「犯罪」)
「名器」といわれるバイオリンの定義、そのビジネスのあり方、
企業パトロンの意義、
演奏家、いや音楽家にとっての成功とは…

などなど、とっても考えさせられます。
女性バイオリニストが意地を見せ、心強くも意外な援助者を得たところで幕。

3月に足を運んだコンサートで、
若手演奏家のありかたについて考えさせられたところだったので、
私にとってはタイムリーに楽しめました。

『死神』

市の福祉事務所に勤めるケースワーカーたちが抱える「ケース」を
オムニバス形式でつづった小説。
ちょっと怪奇めいた話もあり、スパイスがふんだんにあって、
篠田節子の面目躍如、といったところです。

これまた、友人が介護ヘルパーの仕事を始めたところで、
いろいろ話を聞いたりしていたので、タイムリーでした。

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『冠婚葬祭のひみつ』

岩波新書。そして著者は斉藤美奈子。
この組み合わせにちょっとビックリ。

斉藤美奈子といえば、
谷崎潤一郎から丸谷才一に至る、文豪面々の文章指南をバッサバッサと斬ってみせた『文章読本さん江』に「おお、まさにそのとおり!」と膝を打って以来、
『妊娠小説』『紅一点論』『モダンガール論』『あほらし屋の鐘が鳴る』『文壇アイドル論』と、次々と(出版年は前後するけれど)楽しませていただきました。

で、今回図書館で見つけたのがこれです。『冠婚葬祭のひみつ』

文学論とは違うなあ、時事ネタでもないなあ、そして岩波新書かい?
と思ったのですが、「はじめに」を読んで納得。

本書の目的は、第一に、そうした冠婚葬祭をめぐる情報のもりにとりあえず分け入って、冠婚葬祭の過去と現在を俯瞰すること。第二に、以上をふまえた上で、現代にふさわしい冠婚葬祭への対処の仕方を考えることである。「しきたり」だ「作法」だとみんなうるさいことをいうけれど、うるさい人に限って、その出どころには無頓着だったりするのである。

おお、このスタンス!『文章読本さん江』と同じではありませんか。
これは期待できそう!

そして、予想通り、楽しく一気に読めました。
結婚式って、変だなあ、なんか納得できないなあ、と思いつつ挙げちゃったんですよね、私自身。
キリスト教信者じゃないから教会はパスだけど、神前っていうのも「何の神様?」って感じだし、西洋の猿真似はしたくないけど、じゃあ純日本式って何よ?

この本を読んで納得。ためしに
第1章・冠婚葬祭の百年、の1-1. 明治の家と冠婚葬祭
について見出しを挙げてみると(括弧内は補足・要約 by PIO)

・古式ゆかしい婚礼と葬式は行列だった(そもそも宗教者は介在していなかった!)
・行列にかわるトレンド、神前結婚式と告別式(都会化した環境じゃ、行列は無理だからねえ)
・婚礼プロデュース業の誕生(ビジネスとタイアップすれば普及は速いぞ)
・葬式が仏教と結びついた理由とは(宗教ならぬ政治&経済上の理由!江戸時代以降のこと。)
・葬式プロデュース業者が発明した祭壇と霊柩車(明治になっての業者ですよ。格式どころか!)
・葬式の産業革命は火葬炉から(土葬には幅狭の「桶」型がgoodで「棺桶」だったのが、火葬に合わせて「寝棺」に)
・明治民法が定めた婚姻の形(エリート層、富裕層の常識「妾」を否定。大正天皇の結婚式でそれをアピール)
・明治民法の影響下で生まれた墓の形(「○○家代々の墓」はこれ以降!)
・「家」の発想は明治から(戸籍制度前は「家」に縛られたのは武家&豪商のonly2%ですって!)

なんか、「目からウロコ」という感じでした。
このあと、1-2.昭和の結婚と優生思想、 1-3.『冠婚葬祭入門』とその時代、 1-4.少産多死の時代を迎えて、と続きます。

そして、第2章・いまどきの結婚、第3章・葬送のこれから。
第2章は、最近の事情に疎いオバサンの覗き見趣味を満足させてくれますし、
第3章は、「後学のために手元に置いておこうかしら」って気にさせられます。

『文章読本さん江』ほどアクは強くないけれど、岩波新書としてはかな~り柔らかいのでは?岩波新書、生まれ変わったとは聞いていましたが、ほんとです。

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「千の風になって」と子ども期

メディアでの露出度、すごいですね。「千の風になって」。
昨日は、NHKのクローズアップ現代でも取り上げられていました。
ちょっと前に有線を流しっぱなしにしていたら、数時間の間にこの曲が3回流れました。
先日、めずらしく昼間にTVをつけてみたところ、トーク番組のゲストが「千の風になって」歌い手の秋川雅史。都内某所オープンスペースでのコンサートで、人々がまさに”鈴なり”になっている様子が紹介されていました。
ブームといっていいでしょうね、この現象。

たしかに、詩もメロディーも心に残ります。
ネットでもこの曲を巡るエピソード募集をしているようですし、昨日のTVでもいろいろ紹介されていました。
エピソードを寄せるのは、年配の方々が多いようですね。

たまたま今
『父親力~母子密着型子育てからの脱出~』(正高信男著 中公新書)
という本を読んでいるのですが、そこで子どもの発達が「はじめての記憶」から考察されています。
それによると、人類は、霊長類の一メンバーとして「嫌なことを初期の記憶としてとどめる」ようプログラムされており、
現代の高齢者が「親しい者の死」「天災」を「はじめての記憶」としてとどめているのに対し、20代の学生は「ケガ」「迷子」「乗り物酔い」「お漏らし」「笑われた」と、内容を全く異にするとのこと。

我が身を振り返ってみました。
初めての記憶は、やはり4歳ごろの「笑われた」経験かなあ。
でも、祖父が亡くなった経験は、やはり大きいですね。6歳でしたが。
祖父が亡くなってから1年間ぐらい、
”自分が悪い子だからおじいちゃんは成仏できないんじゃないか”
”こんな悪い子だと、おじいちゃんに連れて行かれて、朝目が覚めないんじゃないか”
”おじいちゃんが死んじゃったのは、私が悪い子だったからじゃないのか”
etc.
といった考えにとらわれて、夜が怖かったのを覚えています。

おそらく、この6歳~7歳の時期に「千の風になって」に接していたとしたら、子どもなりに救われたかもしれないなあ、と思ったりして。
いや、逆に、もっと怖くなったかなあ。風が吹くたびにビクっとしたりしてね。

現代の子どもは、どうなんでしょう。
うちの息子は、11歳になるまで「親しい人の死」は全く経験していませんね。
そういえば、幼稚園のころ、縁日でゲットしたサワガニの「さわちゃん」が半年生き延びて脱皮したあと息絶えたときには大泣きしていましたが。

ふと、「千の風になって」が子ども期の心にはどう響くのか、気になった次第です。

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ピアニストが見たピアニスト

070209izumiko ピアニストが見たピアニスト―名演奏家の秘密とは
青柳いづみこ

ウイルスにやられてうんうん唸っている息子を抱え、
仕事を急遽キャンセルし、ぽっかりと時間ができた昨日。

ほんとならヘッドホンかけて消音ピアノを弾きまくりたいところだったのですが、
それではベッドから訴える息子の声も聴こえない、ということで上記の本を読みふけることにしました。

この本を手に取ったのは、「アルゲリッチはどうしてソロを弾かないのか?」というコピーに吸いつけられてしまったからなのですが、
実際にはそれよりも、彼女がガン闘病で転移も経て奇跡的に復活を果たしたのだとか、手術に付き添って看護をしたのは日本人ピアニストだったとか、何度も結婚していて子供も何人もいるとか、若い頃全くピアノを弾かない3年間があり、音楽を捨てて秘書になろうと考えていたのだとか、私にとっては初めて知る事実が満載でした。

それから、リヒテルについては20年来の疑問が解けてすっきり。
大学時代、アルバイトでためたお金をはたいてリヒテルの演奏会に行き、彼が楽譜を見て弾く(ステージを暗くし、スタンドを立てて楽譜のところだけ照明を当て、譜めくりをつけて弾く)姿に仰天したのですが、このスタイル、1980年代半ばから、ずっと貫いていたのですね。
決して「暗譜力」「記憶力」が衰えたから、というわけではなく、「音程が高く聴こえてしまう」状態に陥っていて、無意識に音程を上げて(調を変えて)弾こうとしてしまい、指で覚えている音楽が崩壊する恐れがあったから、とのこと。

その他、「へぇ~、そうなんだ」と思う情報がいっぱい。
なんだか一度読んだだけでは消化しきれない感じです。

「ステージが怖い」演奏家、「怖くない」演奏家、の分類ができて、
ステージが怖くない人は、CD(レコード)公式録音をしようという意志があまりない、
だから演奏会でのオハコの曲で「これぞ」という曲の録音が残っていなかったりする
という指摘にも、なるほど、と思ったことでした。

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城山三郎『うまい話あり』

070207umaihanashi 前回書いた、池井戸潤にたどりつく前に読んだビジネス小説。
引越し直後のお正月休み、本を買いにも借りにも行けなかったので、夫の書棚より拝借して。

城山三郎というと、ちょっと硬いイメージがあったのですが、なんの、なんの。
実に楽しく読めました。

昭和40年代、外資系石油会社が始めたフランチャイズ方式のガソリンスタンド。その支店長の一人に採用された若夫婦(妻は途中で失踪したりして、それがまた話の展開を呼ぶのですが)の奮闘物語です。

経営サイドは、どんな具合に、フランチャイズ店長から搾取するのか
搾取される側はどう自己防衛するのか
店長という立場の者は、雇い人からどう信頼されるのか
仕事と家庭のバランスはどうとるのか

1977年初版のようですが、今読んでも、決して古びてはいないのがさすがです。

そして、驚いたことに、本日発熱して学校を休んでいた小5の息子が、
「この本、読んじゃった。けっこーおもしろかった」
と言ってきました。
そういえば、最近は
「だんごーっていうのと、わいろっていうのは、どう違う」
「だつぜいって何」
などと、うるさかったのでした、彼。

どうも最近、私の読む本と、息子の読む本がクロスオーバーしてきたようです…

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池井戸潤の銀行小説

よくあるパターンなのですが、仕事がたてこんでくると読書に逃避してしまいます…
現在、試験期間中につき、採点、成績付け、書類作成に追われる中、また逃げ込んでしまいました。

初めて読みました。池井戸潤。
今回該当者なしだった直木賞の候補で、最後まで推されていたという評判を聞いて、図書館で借りてみた次第。(受賞候補作ではなく、ちょっと前の作品ですが)

070205bubble 『オレたちバブル入行組』(2004)は、バブル全盛時代の就職戦線~協定破りや拘束~を描いた後、バブルがはじけて当初の目論見がはずれた彼等バブル同期入社組の、転んでもただでは起きないしたたかさ、七転び八起きっぷり、友情、そして痛快なる勧善懲悪的活躍を描きます。あの時代を共有した同世代人には、ヒットしますね。悪者をどう追い詰めるか、スリルにわくわくしながら読み、読後感爽快。

070205sheilock『シャイロックの子供たち』(2006)は、東京住宅街の小さな銀行支店が舞台。これまた私にとっては身近な場所。支店長、副支店長、バリバリのやり手行員、運動会系行員、女性行員、パートタイマー、検査部員…さまざまな人たちを主人公とした1章ずつが独立した形式で始まります。そして、それが100万円紛失事件、銀行員失踪事件を軸としたミステリーに。

池井戸潤が岐阜県出身と知り、かの県に接点を持つ私は、ますます応援したくなってきました。

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ベートーヴェンの不滅の恋人

070201beetoven 久々のブック・レビューです。

青木やよひ『ベートーヴェン<不滅の恋人>の探求』

ベートーヴェンの死後、彼の秘密の引き出しから見つかった手紙の相手、そこで<わが不滅の恋人>と呼びかけられている女性は誰か、を巡る論考です。

内容の詳細は省きますが、びっくりしたのは、当時の資料がさまざまに残っているという事実です。

・警察記録:どこの誰がいつ警察管区内に到着したか、どのホテルに宿泊したか等
・新聞記事:貴族階級の人や有名人の動向
・手紙
・日記:ベートーヴェン自身のもの、つきあいのあった人々のもの
・ホテルの湯治客名簿
・ベートーヴェンの筆談メモ
等等。

で、これらの資料に逐一あたり、推理を展開していくわけですが、

・私信やメモ類は、差し障りありと判断されたものに限り、処分されている
・関係者が生存する時代に行われた聞き取り調査では、差し障りがありそうなところはぼかして発表されている

という立場をとり、資料が「抜け落ちている」部分を特定し、その背景を探り、推理は盛り上がります。
さらに2001年に至って、新資料が発見されるのですから、ほんと歴史って面白い。
旧東側に所蔵され、顧みられていなかったものが今になって出てきた、というのです。

ということで、この論考で着目されている二つの年代

★恋愛が盛り上がり、恋文が書かれ、事態が急展開して悲恋に終わった1812年
★二人の間が再び近づいたものの、やはり結ばれなかった1817年

に注目してみると、この間にベートーヴェンの曲想も大きく変わっているとか。
ロマン・ロランはこの時期のベートーヴェンについて「彼はこの4年間に人間が変わってしまった」と書いているそうです。
これからベートーヴェンの作品を弾く機会があったら、今まで以上に作曲年代にも注意を払ってみようと思います。

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斉藤秀雄と宮沢賢治

まだ読みかけですが…
小澤征爾をはじめ著名な音楽家を育てた、斉藤秀雄の生涯を綴った本を読んでいます。

ここのところ、つづけてサイトウキネンフェスティバルへ足を運んでいるというのに、斉藤秀雄その人については断片的なことしか知らず、どうもスッキリしていなかった私。先日、職場の図書館で、とーっても貧弱な「音楽」コーナー(専門が全く違うので当然なのですが)をのぞいてみたところ、なんとこの1冊だけが白い背表紙を輝かせて、私の目に飛び込んできたのでした。

『喜遊曲、鳴りやまず~斉藤秀雄の生涯~』中丸美繪 1996年 新潮社

まだ少ししか読んでいませんが、斉藤秀雄その人がわかる、ということはもとより、日本の近代史の中で、オーケストラが、クラシック音楽を生業とする人が、どう位置づけられてきたのか、というイメージがつかめて、大変面白いです。
やっぱり、クラシック音楽って、初めは、上流階層の限られた方々のものだったのですね…。著名な英語学者の家に育ち、有名私立小学校に入り、その中学・高校時代に同窓生と音楽活動に没頭し、大学卒業後には欧州留学を果たし…という具合。

時代を感じる中でも、次の仮説にはびっくり。
★宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』のなかの楽長のモデルは、斉藤秀雄ではないか?

宮沢賢治、頻繁に上京しては、オーケストラの練習風景を見に足しげく通ったり、高価なチェロを自ら購入してオーケストラのチェリストにレッスンを乞うたり、といったことをしていたそうで、秀雄の指揮を見ていたと考えるのはごく自然なこととか。
「ドイツ留学帰り」の新進気鋭のチェリストとして交響楽団に入団し、指揮もしていた秀雄は、まさに賢治が描写したように、
「手をぱっと打ち」「足をどんと踏んでどなり出し」といった指揮ぶりで、楽団員の反感も買っていたとのこと。

音楽に対する情熱がヒステリー的な暴君ぶりにつながり、周囲の反感を買って…ということは多々あったそうです。楽団員の署名集めによって、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)から去る、ということころまで読みましたが、当時のコンサートマスターが黒柳徹子の父上だったりして、「時代のつながり」を実感。。。
指揮者にはカリスマ性が求められるので、オーケストラのメンバーだった者が同じオーケストラの指揮者として成功するのは不可能だ(周囲の嫉妬を買ってしまう)といった見方にも頷いてしまいました。

続きは、また改めて。

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ピアノ曲選びの参考図書

彩音会では、来年のコンサートに向けてメンバー各自が曲目選びに入っている頃かと思いますが、この機会に、参考図書をご紹介しておきます。

★ピアノ曲全般 
高橋淳『ピアノレパートリー事典(増補改訂版)』春秋社(初版1988 増補改訂版2006)
 入手しやすい楽譜の出版元、難易度がわかるのがありがたいです。

★連弾曲 
松永晴紀『ピアノ・デュオ作品事典(増補改訂版)』春秋社(初版1991 増補改訂版2004)
 楽譜出版元、難易度に加えて、演奏時間もわかります。各曲解説コメントも貴重。

★スペイン・ピアノ作品 
上原由記音『粋と情熱 スペイン・ピアノ作品への招待』ショパン(2004)
 スペイン音楽の旋法、リズムなどの解説、作曲家の伝記、さらに「お奨め曲」マークつき343曲全ガイド。

前回の記事にも書いたように、ネット上でもいろいろな情報、音源に接することができるようになって、本当にありがたいことです。
上記以外にもよい本などご存知の方、どうぞコメント欄にご記入をお願いいたします。

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エンターテインメント小説

乃南アサのいくつかの小説、「新潮エンターテインメント倶楽部」というシリーズから出ています。
ふーん…純文学じゃなくて、娯楽小説っていうことを前面に押し出しているってことなのかな?記憶が定かではありませんが(何せすべて図書館で借り出しているので、本がもう手元にない)、たぶん、音道貴子シリーズの短編などだったと思います。

同じ作家でも、「犯罪被害者」をテーマを扱った『風紋』『晩鐘』などは、「エンターテイメント」とは言いませんよねえ。
音道貴子シリーズでも、直木賞をとった『凍える牙』その続編の長編『鎖』は、どうなんでしょうか?
あ、『鎖』は、良かったです。人間模様、駆け引きのスリリングさに心酔しました。ブルース・ウィリスの「ダイ・ハード」を思い出してしまった私って古い?
画像でなく、文章で、事件の緊迫感を表すというのは、すごいですね。
『凍える牙』でコンビを組んだ滝沢、イヤな男星野、など男性たちの描き方も秀逸でした。

で、このへんで乃南アサからちょっと離れ(ここにupしなかった作品も随分読みました)、次なるエンターテインメントとして借りてきたのが
真保裕一『ダイスをころがせ!』
文庫裏表紙に「情熱系エンターテインメント!」とありましたが、まさに、でした。
30代半ばでリストラされた主人公が、高校時代の親友に乞われ、無所属から選挙に打って出る親友の政治秘書となって…という話。30代になった元同級生たちの熱い戦い、有権者への歯がゆさ、微妙な恋愛感情など、いくつもの伏線があって、楽しみながら政治のしくみにも納得したりできます。

真保裕一は、『ホワイトアウト』『奇跡の人』『繋がれた明日』を読んだことがありますが、その中では読後感爽快度、第一位でありました。

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乃南アサweek、継続中

本ブログのコメント欄でお奨めいただいた本、読みました。

『未練』(2001):
 音道貴子シリーズの短編。前に読んだ2作に比べ、引きこまれ度高し。貴子の未知の部分(新入婦警だったころの話とか)を知るとともに、日常と連続した「すぐそこ」に犯罪が、と、背景への共感を持って読めます。

『晩鐘』(2003):
 推薦の言葉にあったとおり、まさに「一気」に読みました。犯罪加害者と被害者の家族を描く長編です(ハードカバーを借りたのですが、その分厚さには一瞬ひるみました…)。両家族の接点ともなる少年の年頃がわが息子と一致することもあり、「一気」度ますます加速…最後の大輔の言葉が、あまりにも悲しい…。
タイトルの意味がいまひとつわからなかったのですが、これは『風紋』の続編だったのですね。『風紋』、早速図書館で予約してきました。今度は文庫版を。

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掃除の頻度と乃南アサ

掃除機をかける頻度って、一般的にはどのぐらいなんでしょう?

なぜこんな疑問を抱いたかといいますと、前回の記事の続きなのですが
乃南アサの『ピリオド』(1999)を読んでいて、気になったので。。。

この主人公、宇津木葉子、離婚後一人住まいをしているフリーカメラマンで、
「一日中、家にいられる日というのは、月のうちでそう多いほうではない」
のですが、昼前にちょっと時間が空いたような場合

「コーヒーを飲み終え、家中に掃除機をかけながらも」
「…洗濯機を回し、部屋中に掃除機をかけた」

といった描写が頻繁に出てくるのです。
こんな描写が気になるのは、きっと読み手側の「引け目」ゆえですね。

ううう…私の場合、「家中に掃除機をかけた」っていえるのは週1ぐらいかなあ…
毎朝、出かけるときにいつも掃除機の音がしているお宅もあって、
その音を聴くたびに、なんだか罪悪感を覚えてしまうのよねえ。ため息。

…あ、『ピリオド』は、上記からもわかるように、日常の日々を淡々と描くという筆づかい。
葉子が兄、そして付き合っていた相手を亡くし、生家を失い、兄嫁、甥、姪と関わっていく。
主題は「故郷」「帰るべき場所」かなあ。
暗めの色調ながら、葉子の言動に共感できる部分が多く、例によって一気に読めました。

もう一冊、『あなた』(2003)も読みましたが、こちらは大学受験の青春ものとオカルトをかけあわせたようなストーリー。
私としてはちょっとひいてしまいました。

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乃南アサ

通勤時間を利用して、乃南アサ作品に耽溺しております。この数週間で読破したのは

1.『花散る頃の殺人』1999
2.『嗤う闇』2004
3.『しゃぼん玉』2004
4.『ボクの町』1998
5.『火のみち(上下)』2004

初めて読んだのは、直木賞受賞作の『凍える牙』。2年前の休暇中、あっという間に読みきって「うむ。よくできたエンタテインメント!満喫!」という感想を得た記憶が…
で、この作品の主人公、音道貴子シリーズがまだあると知って借りてきたのが1.&2.ですが、
→ううむ。やはり短編はいまひとつ盛り上がり感、結束性に欠けますね。「これで終わり??」と思ってしまった短編がそこ、ここに…

3.4.は、若者のいわゆる成長小説。読後感さわやか、安心して読める娯楽小説です。若者の姿が生き生きしていて、ドラマ化に向きそう。

5.は、犯罪を犯した若者が陶芸家となり、名を挙げつつも中国の焼き物に魅せられた結果、まさに壮絶な「火のみち」を選び…という作。戦中・戦後、昭和の社会情勢、マスコミの姿なども描きこんでいて、社会派小説となっています。

通勤で読むのにちょうどよい、スピード感のある小説群でした。しばらく「乃南アサ耽溺ウイーク」は続くかもしれません。地域図書館よ、ありがとう。

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砂漠の船

060413sabakunofune 篠田節子シリーズ、第4弾です。
通勤時間を利用して読み続け、5日目にして読了。

この表紙のように「鈍色(にびいろ)」が似合う、徹頭徹尾「短調」のお話でありました。ひとことで言えば「家族が壊れていく」ってことになるんでしょうが、それが、誰にも止められない、不気味な低和音とともにズン、ズン、と進んでいく、って感じ。

でも、暗く沈んでしまわないのが篠田流ですね。鈍色の展開でありながら「次どうなるんだろう」と読者を引っ張る「わくわく感」健在なり。

ポップな色調で軽快に走り抜ける感じの『女たちのジハード』は、彼女の作品の中では異色な存在なんだな、ということを再認識いたしました。たしか、このブログのコメントでも華音さんが同じようなことを指摘されていましたね。

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篠田節子とクラシック音楽

先日お約束しましたので、『秋の花火』所収、音楽関係の短編をご紹介します。

「ソリスト」
世界的なピアニスト、アンナ・チェーキナと、「青春の一時期、ソ連の音楽学校で共に学んだ」神林修子の物語。卒業後30年月日を経て、修子は「キャンセル癖」で有名なアンナを地元のロシア音楽祭に招く。が、案の定、会場至近のホテルにチェックインしたアンナはコンサートに現れず、修子がその代役を勤めて1曲アンサンブルを終えた後、やっと…

話の山場は、音楽性の描写にあるというより、「なぜアンナはソロを弾かなくなったか」の謎解きにあります。アンナに手をひかれ、舞台上でアンコールでのソロの譜めくりをすることになった修子が見たものは…アンナが生きのびるために背負った政治的取引とは…
「人間としての誇りのすべてを捨てて、ピアノのために身を捧げてきた」アンナ。彼女を描く中で
「一流の演奏家は、人間的にも一流だなどという役人の言葉は、素人の抱く幻想だ」
と言い切り、才能といわれるものの正体の一例をあぶりだそうとしています。

「秋の花火」
高名な指揮者、清水孝允と、「プロともセミプロともいえない」楽団「イ・ソリスティ・トウキョウ」のメンバーとの交流を描く…というと叙情的小品を思い浮かべるかもしれませんが、さにあらず。
25周年を過ぎた「イソリスティ・トウキョウ」の一員である「私」(名前が伏せられていることに今気づいた…)の目から、彼女自身が他メンバーに抱く淡い感情も織り交ぜつつ、先生の、ある意味みじめな晩年が綴られます。

福祉タクシーで乗りつけ、舞台に上り、ギプスで固めた手で棒を振るや
「音楽は荒々しい生命を吹き込まれ、躍動し、変幻自在に広がり、きらめくような色彩をたたえて流れはじめた」という奇跡をひきおこす先生と、
排尿さえままならなくなっても、「抽象的な『女』という生き物に執着を持ちつづけている」姿を曝し、「私」に「哀れみでもなければ、悲しみでもない。何か厳粛な思い」を抱かせる先生。
*********************

二作とも、音楽的には天分に恵まれたとはいえない女性の視点から描かれる、音楽家として成功した人の物語となっています。
テーマは「天才が抱える事情の重さ」とか「人間の業」とでも言うべきものでしょうか。
読後感は決して重くはないのですが、でも、「キャーおっもしろい!」とばかりに読んだ『女たちのジハード』とは、かなり趣が違いました。うーん、深いぞ。

篠田節子さん、ご自身でもチェロを弾かれるそうですね。
他にもたくさん、クラシック音楽を題材にしたものを書かれているようです。
ちょっと「のめって」みようかな。

続きを読む "篠田節子とクラシック音楽"

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篠田節子の短編小説

4月1日。新年度の始まりです。
ふうう。本来なら、新年度の準備にいそしむべきところなのですが、どうにもこうにも気が向きません。そして現実逃避に走るわたくし…

現実逃避の最たるものが、「小説に読みふける」です、はい。
060401tenmado  060401akinohanabi昨日図書館で借りてきた、短編集2冊。
篠田節子さん、ミステリータッチで人間の深層心理に潜む醜さ、危うさを暴く、といった手法でも書く人だったのですね。
所収作品の初出には「角川ホラー文庫」とか『最新「珠玉推理」大全』などがあってビックリしました。
さっぱりと淡白、理知的な香りの中に毒気を含んだ…といったところでしょうか。星新一のショート・ショートのノリにも通じるものがあるかもしれません。背景に現代社会のゆがみがデンと控えている、というのも特徴といえましょう。

さてさて、個人的にはまず、『天窓のある家』冒頭作の題名に惹きつけられました。
「友と豆腐とベーゼンドルファー」
おおっ!ベーゼンドルファー!言わずと知れたグランドピアノの超ブランド品!それがなぜ「豆腐」とペアを組むのか?
これぞ「読んでのお楽しみ」ですが、この組み合わせが象徴する、主人公・有子の「生活感覚に裏打ちされた開き直り」に思い切り共感しちゃいました。
他の作品はもっと過激です。
真面目で一生懸命で疲れている女性が、日常生活に揉まれる中で少しずつ壊れていく…その壊れ方では、「手帳」「天窓のある家」が、いかにもありそうでコワかったですね。

『秋の花火』…実はこれ、まだ読みかけです。
ただ、作品末尾に著者の「記」として
”これらの作品を書き上げるにあたり、楽曲の構成、演奏方法等について、実技を含めた指導をいただきました”
と、お二人の方への感謝が述べられています。
先のベーゼンドルファーだけでなく、音楽を作品のモチーフに使うことが多いのですね。
そういえば、朝日新聞連載の小説もそうだったような…(真面目に読んでなかったけど)
この件についてのご報告は、また後ほどということで。

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女たちのジハード

060329shinodasetuko 言わずと知れた、1997年の直木賞受賞作。篠田節子は、新聞の随筆欄で文章を読んで「力のある人だなあ」なんて思いつつ、今まで小説を読んだことがありませんでした。ぶるさんのご推薦(当ブログ3月22日コメント)を受けて、読み逃していたことを思い出し、手にとってみた次第です。

一気に読みました。
ジハード=聖戦。
登場する女性たち(20代半ば~30代)、保険会社の同僚OL5名が「自らの内面からわきあがる欲求、悩み、怒り、意欲」をかけて、世の中に挑戦する「聖戦」といえましょう。

すがすがしい読後感でした。
初めの「甘ちゃん」状態から、どんな機会をどう捉えて、それぞれが一歩を踏み出していくのか、それがどんな経過、結末につながるのか…ぐいぐい引っ張って読ませてくれます。
5人のキャラクターはそれぞれ。
本の画像にある帯の「結婚、仕事、それとも…」なんて言葉では尽くせません!
”パーソナリティ、考え方、人生、さまざまでいいんだ!よし、私もがんばろー!”
なんて、元気をもらえます。

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アガワサワコのワハハのハ

060326agawa 退院後、順調な回復を遂げているのですが(昨日の外来診察で医者のお墨付きゲット)、傷口がチクチクするのが気になるし(おなかにファスナーがついたような…)、未だにすぐ眠くなるし、ってなことで、漫然と日々を送っておりまして、ブログに書き込むネタがない。

で、またまた入院中のベッドで読んだ本のご紹介。
週刊文春での阿川佐和子さんの対談をまとめたもの第4弾。第1弾が「あの人に会いたい」、第2弾が「アハハのハ」、第4弾が「ワハハのハ」。→さて、ここでクイズです。第3弾の題名は何でしょう?

おわかりでしょうか?「ハハ」「ハハ」「ハハ」とくれば→の中は「」ですね。はい。「アガワサワコのガハハのハ」が正解でした。

こうしたタイトルのつけ方からも類推できるように、とっても軽妙で楽しい対談です。
宮沢りえの過去ふりかえり本音対談(モスクワ映画祭受賞当日)、美輪明宏の豪奢な自宅客間(本人曰く「大道具置き場」)での大苦言対談、国谷裕子のヒストリー丸分かり対談、野村萬斎の芸術論お披露目対談、なんかが面白かったです。

それにしても、阿川さんの雰囲気をもってすると、どんなに過激なせりふでも上品&軽妙洒脱に響くのですよねえ。人徳だなあ。

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ベター・ハーフ

060322betterhalf 入院中のベッドの上で、一気に読みきった小説です。
シドニィ・シェルダン張りのアップダウン満載。バブリーな20代を過ごした世代、我がご同輩の方々、楽しめますよ!
ちょうど平成時代の幕開け頃から2000年ミレニアム騒動の頃までのお話。初版から5年を経た昨年、文庫になって再登場。

「クリスマス・イヴは都内の高層ホテルのスイートルームで」「結婚式にはお洒落な教会を押さえて」といったマニュアルに踊らされた世代。
マニュアルどおりの見事な結婚のはずだったのに、結婚式当日からトラブル勃発、離婚覚悟で新婚旅行から帰宅するも双方の実家の事情が…仕方なく結婚生活を開始するもダンナは仕事三昧で家を顧みず、株で火遊びしてみたらばバブル崩壊、商社のエリートサラリーマンだったはずの夫は…
といった具合。すごい勢いで話が進みます。不妊症、お受験などの話題も…

20代、ディスコ(もう死語?)にもブランド品にも縁無く、地味~に生きていたPIOは「わが身につまされる」こともなく、「波乱万丈の同世代小説」として単純に楽しめました。「バブルの時代って、どんなんだったんですか」と聞いてくるような若者には、この小説を薦めちゃおうかな。

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Jazzアレンジで弾くディズニー連弾

gakufu 体調不良に苦しんだここ数週間でしたが、なんとか息子ともども回復いたしました。どうもご心配をおかけしました。

で、ここのところのストレス発散!とばかりに衝動買いしてしまったのが…連弾譜!
「JAZZアレンジで弾くディズニー連弾 (CD付) 1」

WHOLE NEW WORLD 、CIRCLE OF LIFE、狼なんかこわくない、SUPERCALIFRAGILISTICEXPIALIDOCIOUS、CHIM CHIM CHER-EE、
東京ディズニーランドメドレー

2005年11月発行。
添付の参考CDを聴くと、後のほうの曲ほどジャズっぽいような。レベルは中上級。
曲(演奏者)によって「ノリ」に差があり、「私だったら、ここはもっとこうする」と思わせるような演奏もあって、弾いてみたい気にさせられます。

他に 「ピアノ連弾名曲選集 (2) 全音ピアノライブラリー」というのも買ってしまいました。これは1991年発行。

サン・サーンス「Caprice」、ドニゼッティ「ソナタ」、W.F.E.バッハ「アンダンテ」、
ドボルザーク「Legende(伝説曲)Op.59」、リスト「Rapsodie No.16」、
モシュコフスキー「スペイン舞曲 Op.21」、
グリーグ「二つの悲しい旋律」「胸のいたで」「過ぎた春」、
ブゾーニ「フィンランド民謡 Op.27」


ここのところ、続々と連弾譜が出版されていますね。
このJazzアレンジのディズニーシリーズも第3巻まであります。
衝動買いの頻度が高まりそうで怖い。。。

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『対岸の彼女』

book 図書館に予約して、4ヶ月待って、1日で読み終えました。直木賞受賞作『対岸の彼女』。
巷では、「負け犬vs勝ち犬…女性の友情は成立するか?」なんて構図で紹介されていたようなので、「社会的に成功を収めた独身女性」と「内心鬱々とした生活を送る子持ち既婚女性」が「こっち」と「あっち」で対峙して、お互いに相手を羨やみつつ…、といった図式を思い浮かべていたのですが、、、

違いました。

「社長」と「雇ってもらったばかりの主婦」の二人。
お互いの立場を羨望する二人、という描かれ方ではありません。
中学・高校時代の友人関係―その困難さに「人生の生き難さ」を重ね合わせずにはいられない、同時代を生きる二人、なのです。
ううむ。このシチュエーション(私の中学高校時代も暗かった)、そして時代背景のサブ・カルチャー(ライクアバージン、の歌とか)なんぞにググッときました。

結末が未来志向だったのが、よかったです。角田光代さん、『空中庭園』なぞでは、お先真っ暗~な感じのエンディングでしたが、心境の変化でしょうか。根っからの俗人のわたくしとしては、明るめのエンディングがよいです。

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ショパン晩年の日々

book 平野啓一郎『葬送』…文庫にして、上巻2巻、下巻2巻、あわせて4巻の長大な小説。年末から1ヶ月かかって読み終えました。

平野啓一郎を読むのも初めて。どうも「長大・難解」で、哲学書っぽいイメージを持っていたのですが、それほど難解でもなかったです。たしかに、芸術論(ロマン派、写実派、○○派)やら哲学論(死とは何ぞや)等が出てきますが、筆者が地の文で述べるのでなく、ドラクロワやショパンといった芸術家たちの会話の中、ドラクロワの心理描写の中で出てくるので、読みやすいです。(ドストエフスキーの翻訳本などより、ずっととっつきやすかった!)

私にとっての収穫は、ショパンが生きた時代を「視覚映像的」に感じることが出来た、という点です。冒頭のショパン葬儀の場面をはじめ、パリの通りを馬車が駆けてゆく、荒れた路地をドラクロワがさまよう、といった映像が生々しく浮かびます。描写力の高い小説です。
また、サンド夫人と暮らしたノアンとパリ、またマジョルカ島とパリとの距離感、当時のイギリスとフランスとでの芸術観の差、などなど、いろいろな背景知識が得られます。フランスの2月革命、10月革命と、それが芸術家に与えた影響も。このためショパンがイギリス、スコットランドに渡っていたなんて、知りませんでした。
ショパンとサンド夫人の仲がおかしくなってからショパンの死までを描いていますが、ショパンは「対象」と捉えていて、ドラクロワに感情移入しているように思えます。音楽家と画家、双方の生活を見る意味でも面白いです。

昨年、ショパンコンクールにはまったことから思い立って読んでみましたが、久々に骨のある文学を読むことが出来て、よかったです。

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