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2016年5月20日 (金)

『国家と音楽』

Izawa 奥中康人 『国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代』 春秋社 2008

博士論文をリライト公刊したものとのことですが、
大変読みやすく、納得しました。

伊澤修二という人、
1851年、信州高遠藩に生まれ、
東京音楽学校(現在の芸大音楽学部)初代校長となった後、
外国人に対する日本語教育の分野でも大きな影響力を持った人です。
明治という時代、音楽、日本語教育の世界で活躍した偉人、
興味を惹かれつつ、どうも人物像が把握できない
……そういった認識で来ましたが、今回、なるほど~と思いました。
そのポイントを挙げてみると

1)幕末のドラム、鼓笛隊が日本の近代音楽の出発点
目的は、近代的な身体の動きを促すこと。
近代的軍隊を有効に機能させるため、組織的な動きを訓練すること。
音に合わせて、一斉に体を動かすことを習得させようとした。
「音楽文化の西洋化」ではなく、「音楽による日本の近代化」である。
そして、伊澤は10代の頃、高遠藩の少年鼓手として訓練を受け、
幕末に従軍もしていた。

2)明治期の渡欧者は、西洋音楽のナショナリズム誘発力を発見
岩倉使節団の残した記録から音楽関係の記述を拾うと、
大式典で大人数で歌われた、ナショナリズムを誘発する合唱や
「国民ノ国民タル」に欠かせない唱歌の教育場面に紙面を割いている。

彼等は「芸術を楽しみ、鑑賞する」姿勢で音楽を享受したわけではない。
当時の音楽鑑賞の枠組みが、今と全く異なることを見逃してはいけない。

3)洋楽は洋学の一要素
明治政府は、欧米に植民地化されまいと、危機意識に突き動かされて
必死で国の近代化を進めたが、その基盤となる思想として
米国のフレーベル主義教育も導入された。
ここでは音楽は、全人形成、人間教育のための手段とみなされている。

4)留学体験で、音階や発音と「文明化の度合い」を関連付け
師範学科取調のため、文部省派遣で米国留学した伊澤は、
履修科目の唱歌に悪戦苦闘。
日本の「西洋音階」採用は、日本の文明社会への第一歩と考える。
文明の尺度として「音階」を捉える意識は米国内にも広まっていた。

***********

こうして、「日本を近代国家に!」という明治政府の総意のもと、
伊澤は音楽教育の基盤確立に奔走し、
その延長線上のものとして、日本語教育界にも入っていったのでしょう。
音楽教育は、人間形成の「徳育」を孕むものであることも、
国民意識を涵養する道具としての役割を持つことも、当然だったのです。

前近代的な邦楽 vs   純粋芸術としての西洋音楽

という枠組みでは捉えきれない時代背景、
当時の人々が拠って立っていた思想基盤が納得できました。

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