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2016年3月 6日 (日)

『アルド・チッコリーニ わが人生 』

Ciccolini パスカル・ル・コール著 海老彰子 訳
『アルド・チッコリーニ わが人生 ピアノ演奏の秘密 』
全音楽譜出版 2008

去年の2月に亡くなった名ピアニスト、チッコリーニの人生を
その教えを受けた著者が、インタビューに基づき
チッコリーニ自身が「私は…」と語る形で記録したものです。

分量的には多くない、薄いブックレットのような本ですが(全127頁)、
読みやすく、示唆に富む内容でした。

 私は六歳の時、よく椅子をコンサート会場のように順々に並べ、ピアノに近づきお辞儀をし、ピアノを弾いていました。(中略)
遠い昔の記憶の限り、ピアノを弾くということは喜び以上のもので、それは必要不可欠、差し迫ったものだったのです。

こう語り始めるチッコリーニは、わずか8歳でナポリ音楽院に特別入学。
著名な作曲家ブゾーニのクラスよりも、作曲書法クラスの「学ぶということを習得させる」ことを知る若い教師の下で多くを学んだといい、「世俗カンタータ」の作曲でローマ大賞を受賞します。

その輝かしい道も、第二次世界大戦で大きく曲折。
英伊通訳として奉仕した3年間、ピアノに触れることも見ることもなく、
父も失い、辛酸を舐め尽くした後、無神論者になったというチッコリーニ。
戦後、ピアノの水準を元のレベルに戻すのに丸1年かかったことを
「私は何も獲得しませんでしたが、とにかく何も失いもしなかった」と総括します。
そして、家族を養うためにバーでピアノを弾き始め、こう述べるのです。

今日すべてのピアニストは「聴いてもらえない中で弾く」という不愉快な印象を乗り越えるために、ピアノ・バーの経験をする必要が少しあると思います。(中略)客を楽しませながら、自分のレパートリーを静かに勉強するということに、一度ならずとも我ながら驚いたことでした。

その後、母の勧めで受けたマルグリッド・ロン賞で優勝。
世界的ピアニストへの道を歩きだすとともに、暗い経験に満ちたイタリアからフランスへ移住するのですが、この間のことを振り返り、次のように述べています。

我々は指、筋肉、忍耐、記憶を持ってはいますが、私達を動かし、私達を越え、私達の芸術の手段によって、姿を変えられるよう要求するのは、別(他)のものです。

同時に「仏教のような東洋の精神性に共感を覚えます」ともありますが、
とにかく、行間から伝わってくるのは、終始謙虚で真摯な姿勢です。
氏自身の才能を喧伝する箇所は皆無。
出会った非凡な芸術家たちとは「飽くなき探求欲」で深く結びついていると言い、
芸術家同士の交流の重要性を説き、
こうした出会い、創造力に満ちたフランスで過ごせた幸運を感謝するのです。

ううむ。深いです。
これで、2章まで
第1章 音楽に取り憑かれた「デーモン」、第2章「音楽を生きる」)。
このあと、次のように続きます。

第3章 教えることは教わること
第4章 芸術作品は神秘そのもの
第5章 私はリリコ・スピント


第5章のリリコ・スピントとは、上質な振動を持つ高い声を指すとのこと。
「私は音楽的なすべての仕事の基礎が、歌に基づいている一人の演奏家です」と述べるチッコリーニ氏が、「私はドラマティックではありません。リリコ・スピントです」と自己規定します。
また、舞台で「あがる」ことについては、次のように気づいたそうです。
公衆の前で完全に自分自身を解き放つことが難しいから、あがる=怖気る
スタジオのくつろぎの中にあって勉強している最中にもあがるなら、
それは自分自身に対して自由になっていないことを意味する
つまり、聴衆に身を任せて演奏できれば、「あがる」ことから免れるのです。

第3,4章にも発見がいっぱいありましたが、長くなりすぎるので割愛します。
ご興味のあるかた、ぜひご自身でお読みくださいませ。

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