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2015年11月 4日 (水)

『我が偏愛のピアニスト』

20151104_2 青柳いづみこ 『我が偏愛のピアニスト』 中央公論新社 2010

先日のショパンコンクールにおいて、
Twitterで現地の生の情報、分析を次々と発信していらしたのが
著者、青柳いづみこ氏。

この本は、タイトルに「偏愛の」と冠しているように、
著者が「何度か聴いて感銘を受け」、「私という磁場に何かが響いた」
ピアニスト10名を選び、
インタビューも交えて、その魅力と生き様を綴ったものです。

さすが、筆者の熱意がびんびん響いてくる筆致で、
ほほうと唸らせられる情報も多く、一気に読んでしまいました。
共通しているのは、エリートコースまっしぐら、ではなく、紆余曲折、不本意な時を経たほうが
のちの演奏に幅が、深みが、個性が出てくる、といったところでしょうか。

最後に掲載された、練木繁夫氏との対談が軽妙洒脱で、また秀逸。
個人的におもしろかったのは、
伴奏としてのピアノ演奏に対する世の意識の変化です。

合わせのときにピアノの蓋を「半分閉める、が常識」だったのは一昔前、
いまは「全開にするのが当たり前」「コントロールしてピアニッシモを作る」、
また、蓋を閉めればおとなしくなるかと言うと、そうではなく
ピアノの蓋を反響版に使って、ヴァイオリンの効果を出す、とか
ピアノのペダルを使って、ソロの楽器の残響を出す、とか。

まだまだ知らない世界がいっぱいあるんだな~、
アマチュアだって、人生これからだよな~、なんて
ちょっとワクワクしたりもしました。^^

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書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

そうなんですよね、今は屋根は全開が普通になってきてるようです。
ここ10年くらいで急速に広まってきた気がしますけど、関東の方はもっと早かったのかもしれません。
逆になんでこれまで半開にしていたのかが不思議・・・

いぞるで様

ピアノが半開だったのは、あくまで脇役、という意識の表れでは、と思います。
主役はソロ楽器。ピアノは邪魔にならない程度で失礼いたします…という。
演奏旅行をするにしても、
ソリストはファーストクラス、伴走者はエコノミーが当然だった
という話も聞いたことがあります。(あれ?この本の中だったかな?)

それが、アルゲリッチやシフなど、第一級のソリストたちが伴奏もするようになって
少しずつ意識が変わり、
「伴奏」というより「アンサンブル」という考え方になってきたことの表れでは?

この流れに乗るためには、
まずカチカチに固い音質をなんとかせねば、です。(゚ー゚;

なるほど。それで今でも伴奏ピアニストはちょっと格下にみられたりすることがあるんですね。
ソナタなんかまったく互角のアンサンブルなのに、今でも「伴奏」としか思われなかったり。
今では、チラシやプログラムにも「伴奏」と書かれることは少なくなり、「ピアノ だれそれ」が多いような・・・。いい流れだと思います。

いぞるで様

たしかに。
ソナタなんか、ピアノのほうがずーっと大変、と思う曲もありますねえ。
伴奏ピアニストはピアノソリストよりも格下、という意識も変わってきていますよね。
ほんと、いい流れだと私も思います。^^

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