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2015年9月22日 (火)

『永遠のピアノ』音楽と精神世界

20150920 シュ・シャオメイの自伝『永遠のピアノ』より抜き書きします。

pp.304-307

バッハの音楽にはめったに休止がない。
……
決して劇的になったり、調和を乱したりすることもなく、
途切れずになめらかなのだ。
同時に『ゴルトベルク』は、音楽の水平的な進行が
低音部の持つ脈動によって支えられる……
『ゴルトベルク』では、低音部が生命を醸し出しているのだ!

さらに私は、そこに中国文化の精髄を発見し、驚いた。
まるでバッハが、中国の偉大な賢人の生まれ変わりにように思えた。

バッハにおける対位法で交錯する旋律は、
私に書の世界を思い起こさせる。
典型的な中国芸術で、何よりもまず呼吸と瞑想の業だ。

ピアノを練習しながら、私は中国の書の大家たちのことを思った。
山に隠棲し、目を凝らし、瞑想する。
それ以外は何もせず、そしてある日、機が熟したと感じるのだ。

……

頭の中で、彼らと同じように山に引きこもることを想像することで、
長い間探し求めていたものに到達できた。
それは作曲家の背後に消えるということだ――自分は存在しないかのように。
だから作曲家と音楽の間に自分の意思を介在させることはなくなる。
作曲家の素晴らしい天分をのみ、表すことができるのだ。


p.334
(弱気になり、リサイタルをキャンセルしようとする筆者に、友人が)

「私たちは二人ともキリスト教徒ではない。しかし言えることは、
君が演奏すると、神聖な感情が会場を満たすんだ。
観客はコンサートが終わった後もそこにいる。
そこから出ていくことができないんだ。」


p.375
時と共に、私はますます自らの傍らにバッハと老子の存在を感じる。
彼らは、過去の試練を乗り越えるのを助けてくれたし、
これから待ち受けているであろう困難に立ち向かう助けにもなってくれるだろう。

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コメント

老子はわからないので、根本的には文章の意味が理解できない私です。
バッハ。自然の摂理が、頭でなく肌で体感できるような、宇宙の深遠を覗いたような
そして、人の一生を追体験したような感覚にたまになります。
ある時、あんまり凄くて息するのを忘れてしまい、あ、息しなきゃと思ったことがありました。(バカかも)

中国の文化大革命について、ほんの少し、そしてフィクションですので
本物の言葉には到底及びませんが、
Red Violin という映画で当時の雰囲気が感じられました。
よい映画です。機会があればぜひ。

まいこさん

映画情報、ありがとうございます。
全然存じませんでした。
評判のいい映画のようですね。ぜひ見てみたいと思います!

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