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2015年7月17日 (金)

『音符ではなく音楽を!』前半

Pianist_kataru2 焦 元溥(チャオ ユアンフ)著 森岡 葉 訳
ピアニストが語る! 音符ではなく音楽を!
現代の世界的ピアニストたちとの対話第二巻~
アルファベータブックス  2015

実は2014年に、第一巻も読んだのですが、
情報量が膨大過ぎて、どうまとめたものやら…消化しきれず、
レビューを書かずに来てしまいました。…いや、一度書いた記事が消えちゃったんだっけ??記憶曖昧…

で、第二巻です。
これまた、すごい情報量ですが、第一巻の轍を踏んではならじと
前半部を読んだところで、とりあえず記録しておくことにします。

すばらしく深い知識を持つ台湾人音楽ライターの著者が、
個人的に「これぞ!」と思うピアニストに連絡をとり、インタビューした内容をまとめたもの。
今回は、
ツィメルマン、アシュケナージ、キーシン、とメジャーどころが並びます。

◆ ツィメルマン
彼にとってピアノの演奏は「副業」なのだそうです。
本業は、楽曲分析だとか。びっくり!
実は、彼のコンサートを聴きに行ったとき(→)、
開演前の「録音・録画をしないように」という放送の際、
「最近、心無い人たちの振る舞いに大変心を痛めている。このようなことが続くなら、演奏会は中止せざるをないだろう」
というような、脅迫的なコメントも流されて仰天したのですが、

CDが要求するものは、私の音楽を破壊し、私の芸術に対する考えも破壊します。現在、私が唯一自分自身を表現できる場所は、演奏会だけです。

その演奏をCDに録音できても、録音を聴くと(演奏会の独特な雰囲気や聴衆とのコミュニケーションの)魔法は消えて音だけが残り、音楽によるコミュニケーションも消失しています。


ということなのですね。
音楽には対話が必要で、ほかの音楽家たちとコミュニケーションしながら演奏する協奏曲や室内楽については、録音とライブ演奏との違いはあまりないものの、
ソロ作品の演奏を録音するのは「間抜けで愚か」に感じるのだそうです。

ひい!音楽を突き詰めた末の結論なのですね。
インタビューは、彼の真摯で謙虚な人柄、音楽に対する真面目さを示すエピソードにあふれる内容です。

◆ アシュケナージ
中学・高校時代にアルゲリッチの演奏に傾倒していた私。ピアノの先生に
「アルゲリッチの真似をしてはいけません!真似るなら、アシュケナージかポリーニで!」
と言われたことが忘れられないのですが、
アシュケナージのCDを聴いてみると、素晴らしい演奏もあるものの、あまり印象を残さない演奏もあるような…と感じていました。

実は、著者も、アシュケナージ本人も、そう思っているとのこと。
好奇心旺盛で真面目なアシュケナージは、限られた時間の中で多くの録音を実現し、のちに解釈が変わればまた自己訂正を重ねていく…そういうスタイルをとっているのだとか。

録音に対する姿勢もいろいろなのですね。
ソ連を離れるに至った経緯、プロコフィエフやラフマニノフの曲の解釈なども読みごたえあります。

◆ キーシン
彼の真面目さというか、求道精神のようなものはTV放送でも感じましたが(→
Q:あなたは演奏で、ご自身の個性や感情を提示しようと思っているのでしょうか?それとも理性的な解釈を提示しようと思っているのでしょうか?
という質問に対する答え

私は自分の演奏をそのように考えたことはありません。私はただ音楽の中から、美しく、豊かで、深く、偉大な特質を見つけ出し、音楽そのものを考えながら演奏しているだけです。

が、彼の姿勢を言い表していると思います。
コンサートでは全く疲れを見せないと感じたのですが、そうではなく、
毎回の演奏に全身全霊を注ぎ込むので、心身ともに消耗しつくすのだとか。

年齢とともに、私が音楽で語りたいことがますます増えているので、今では三日間休息をとらないと次の演奏によい状態で臨むことができなくなっています。音楽は私の生活そのものですから、これからも演奏を続けていくでしょう。

……ということで、
巨匠ピアニスト三名三様の特徴が納得できて、興味深く感じました。

ただ、前半部
(第1部 ツィメルマン、シャーンドル、ヴァーシャーリ:ポーランド、ハンガリーのピアニスト、第2部 アシュケナージ、ダヴィドヴィチ、ジルベルシュタイン:ロシアのピアニスト)
で一番印象に残ったのは、ロシア・ピアニズムを語る次のフレーズ。
うまく弾きたいと思うなら、演奏者はまずピアノの前に静かに座り、全身の重さと力を感じ、それを使ってピアノを弾かなければなりません。その場合、全身は完全に脱力し、どこも硬くなってはいけません。そして、身も心も鍵盤のもっとも深いところに「注ぎ込む」ように弾くのです。ピアノの音は重さによって「押し出される」ように生まれます。けっして叩き出すものではありません。そのような柔軟でしなやかな奏法を身につければ、最弱音でも芯のある充実した音を出すことができます。(p.176 ヘラ・ダヴィドヴィチ)

ほんと、こんなふうに弾けたらいいだろうな~。

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コメント

サンクトペテルブルグまで約350キロ、時差1時間の場所にいました。
借りていたコテージから少し離れたコテージにロシア人の一家が。
まさか日本から来た私がロシア人のピアノを聴いてるなんて
思いもよらないだろうと思いながら、遠くから流れてくるポップスを聴いてました。

ライブで流れていたredkin さんのラフマニノフ3番を聴いてました。
なるほど彼らしい演奏。まだパタパタ(?)してるけど、
彼の奏でたい音楽はよくわかったように感じました。そんな気がするだけですが。
雪が手からサラサラと零れ落ちていくような、白昼夢のような、不思議なラフマニノフ。
行きの飛行機で上空からクラシノヤルスク(ここの出身だとか)を眺めていました。

ピアノの聴き方が前と少し変わったような気がします。
自分が思っていたより、もっと大切で好きな楽器だったんだと、
小さい頃にピアノが家に運ばれてきた時のことを思い出しました。

この本、ずっと気になりつつ、凄そうなので読んでないのですが
ズシーンときそうですね。読まなければ。
素晴らしい音楽家、時にものすごく純粋、純真で懸命で、
感動を通りこして呆然とする時があります・・・。

まいこさん

すばらしい!
ネット経由とはいえ、Redkinさんのライブ演奏を、会場からほど近い場所で聴き、
その生地を上空から眺めて帰国されたとは。
雪が手からサラサラと零れ落ちていくようなラフマニノフ…うう、聴きたい!

ピアノ、ほんと奥深いです。
弾きたい音色と、実際に出してしまっている音色の差に唖然とする私。
Redkinさんの音色は、ほんとに胸に響くものでした。

この本、まさにズシーン、ですよ。
いま、後半のフランスのピアニストを読んでますが、こちらもすごいです。

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