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PIOの新ブログ

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2009年9月 9日 (水)

『物理学者湯浅年子の肖像』

『物理学者湯浅年子の肖像-Jusqu’au bout最後まで徹底的に-』

090909book_2 第二次大戦期、若手研究者として渡仏し、キュリー婦人の娘・イレーヌとその夫、ジョリオの下で学び、フランス国家理学博士の学位を取得した女性。
戦乱の中、政府の意向で一時帰国するも、戦後改めて渡仏し、原子核の研究に没頭するとともに、日仏共同研究の道筋をつけた女性。

そんな、湯浅年子というひとのことを、私は全く知りませんでした。
大学の同窓会誌の推薦文などからこの本を知り、手にとった次第ですが、その真摯な生き方に、まさに背筋の伸びる思いでした。

彼女は数多くの和歌も詠んでいます。

「41年半ばから取り組んでいたベータ崩壊の観測・分析を着実に進めて、その結果を43年半ばまでに3つの論文にまとめ」た結果が「研究者たちに引用されて研究の進展に寄与」した結果、まさに、苦難の連続の末、
43年12月、学位審査に合格したときに詠んだ歌が、

 恐ろしき虚無みつめ居り吾が仕事なれりといへるこの朝にして

……なんという、沈潜。
「やった~!学位、とれた~!!さすが私!」では、ないのです。

大勢の人々に祝福を受けたあと、一人広い講堂に残ったとき、
「父がいない。母もいない。私はこんなに憂鬱になるとは予期していなかった。不十分な論文を提出したことに対する悔いが大部分を占めている。」(日記より)
というのです。

今の世の中、
「ポジティブ・シンキング!」「自己アピール力!」
といった価値観に満ち満ちていますが、心もベクトルを何が何でも「外向き」にしようとする風潮が正しいのだろうか?
と考えてしまいました。

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コメント

>ベクトルを何が何でも「外向き」にしようとする風潮が正しいのだろうか?

日本人は良くも悪くも「個」よりも「集団」を高めること、協調することを良しとされた歴史を持つ民族ですから
どうしても”風潮”っていうと、全体主義的にどひゃ~~~~~~っと流れてしまう
見直さなければいけないのはそういう点だけ、なんではないでしょうか??
なので、そもそも論として「風潮」に疑念を呈することそのものにアタシは懐疑的です
新聞やニュースの論調もすべてそういう路線ですけどね


「外向き」にすることがその人を伸ばし、高める時、それはとても有効なベクトルだろうし
湯浅女史のように「内省」することが自らを高める人だって少なくない
「自省」を求めると、どこまでも内向的になり、戻ってこられない個性・人格もある
アンタちょっとは「自省」が必要じゃないの!??そんなアウトプットばかりじゃ底が知れてるよ!ってな人に限って、絶対に立ち止まり「内省」しようという姿勢は見られない
後者のような人が目立ってくると「風潮」は「内省」へと変わるのでしょうが・・・・・

「風潮」に捉われず、ひとりひとりを洞察し、その人その人に応じた対応のできる人間(一番影響力を与えるのはやはり親と教育者、ですが・・・)が増えれば
おのずとひとは自分に必要な情報を選び取り、「風潮」に揺らぐことなく自信を持って生きられる・・・ように思います

>華音さん

洞察に満ちたコメントをありがとうございます。m(_ _)m

>アンタちょっとは「自省」が必要じゃないの!??そんなアウトプットばかりじゃ底が知れてるよ!ってな人に限って、絶対に立ち止まり「内省」しようという姿勢は見られない

そうなんですよね。
でも、こういう人ばかりが世の脚光を浴び、もてはやされている気がするのです。
でも考えてみれば、我々の若い頃からして「ネクラ」が貶められ、「ネアカ」が歓迎されていましたものねえ。

研究会に行ったって何したって、今や
「発信できない者には存在価値なし!」
です。

ただ、発信する者こそ、その内面世界を充実させておくべきですよね。
そういう側面に目を向けたい、と言いたいわけです。はい。

>こういう人ばかりが世の脚光を浴び、もてはやされている気がするのです

PIOさん、アタシも若い頃はそういうことに憤慨してました
でも・・・・
本当に、世の脚光を浴びもてはやされることそれ自体そんなに羨むべきことなのか!?
正しい行いをしている人は、本当にわかる人には理解されているし
本当にチカラのある人は、世の脚光を浴びもてはやされることを第一義とせず、着々と自分を肥し、周囲に恵みをもたらしている・・・・んですよね

>「発信できない者には存在価値なし!」

この夏渡米して、在米歴の長い友人夫妻と話していて痛感したのですが、これって日本の考える"globalism=Americanize”なんですよね
アメリカじゃそうでなければ生き残れない
でも、日本はまだまだそんな社会じゃないし、そういうことに捉われる人たちがAmericanizeを加速させている、ように思います

もてはやされること=認められること、ではない、と悠々と構えていられる賢者がたくさんいる日本社会を誇りとし、"爪を隠して”いる有能者を正しく評価できる自分でありたいな・・・と思います(^^♪

>華音さん
またまた、うまく表現できずにいた核心部分をズバリ代弁してくださったようなコメント、感激ございます。


「もてはやされること=認められること、ではない、と悠々と構えていられる賢者がたくさんいる日本社会を誇りとし、"爪を隠して”いる有能者を正しく評価できる自分でありたい」


まさに、これです!
そして、この評価軸をきちんと自分の中に保っていられるような「次世代」を育てなければいけない、と思います。

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