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2009年3月 7日 (土)

『奇跡のピアニスト郎朗自伝』

090308_2 北京オリンピックの開会式で、可憐な少女を脇に侍らせ
ますます磨きのかかった オーバーアクションでピアノを叩く
ランランを見て、

「ずいぶんどっしりと、貫禄がついてきたなあ…」

なんて思ってしまったのですが、彼、まだ26歳だったのですね。
なんだか、もう30代も後半?といった印象を抱いたのでしたが。。。
それぐらい長年にわたって音楽界に君臨しているような気がしていました。

しかしこの自伝には驚かされました。
幼少期の狂人的ピアノ漬け生活、…とても人間業とは思えません。
まさに一家の命運を背負っての、あとには引けない瀬戸際生活。
父親の、ほとんど狂信的ともいえる、息子に賭ける情熱。

「絶対にナンバーワンになるんだ!」

…いまや「ナンバーワンよりオンリーワン♪」が常識となってしまったような日本では
想像もつかないパワーで、人をがむしゃらに突き進ませる魔法の呪文。

モーツァルトの父を思わせるランランの父(本人も自認していたようですが)には、
ただただ圧倒されるばかりです。
文化大革命に翻弄され、自己実現を阻まれてきた世代であり、
それだけに、次世代に賭ける並々ならぬ意気込みがあるのだと知り、納得しましたが。

決して裕福ではない家族が、親戚から借金をしまくり、
母親を「稼ぎ手」「送金者」として半ば強制的に故郷に残して、
「息子の監督者&アドバイザー」たる父親が息子をひきつれて北京へ上る。そして
「ナンバーワンになるんだ!」
を合言葉に、ときには息子に自殺を迫るような極限状態の中で、ランラン9歳にしての音楽院入学を実現してしまう。

それから、コンクールやら、周囲の嫉妬やら、異国で出会う理解者やら…
といったエピソードが、「めくるめく」調子で綴られていきます。

印象に残ったのは、次の二つのエピソード。

・コンクールの練習室で、盲目の日本人ピアニストと出会い、
ともにピアノに触れ、弾きあう中で、音楽に対する新鮮なインスピレーションを得た

・アメリカで、著名な指揮者、音楽家、交響楽団に認められ、協演を求められる存在となり、意気揚々と凱旋帰国公演をしようとしたところ、
「コンクール受賞歴が足りない」「もの足りない」といった反応をされた

……生々しいです。ほんと。

さて、なんというタイミングか、ちょうど昨日、NHKの芸術劇場で、
この1月のランラン日本公演が放送されました。

相変わらずの、オーバーアクション、百面相ぶり、でした。
音楽を味わうには、映像がないほうがいいかも、なんて考えてしまいます。
ほんとに、40代、50代、になっても、このスタイルで行くんだろうか、とも。。。

また、別の意味でびっくりしたのは、
リサイタルのステージで、堂々と譜面台を立てて、譜めくり人まで置いて、
ほぼ「楽譜かぶりつき」状態での演奏を披露していたこと。
曲は、バルトークのソナタでした。

10代で、「どんなときにも暗譜で弾ける協奏曲が20曲ある」彼だったのですが。
ううむ。
若くして大成した音楽家のその後の生き方……いろいろ考えさせられます。

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