つきそい者として

3年半ぶりに訪れた病院に、
今度は、夫が入院いたしました。(私の入院記録→

単身赴任中の任地から帰ってきての入院&手術。
ということで、さまざまな決定を一度にドドっと下さざるをえず、
昨日は丸一日、夫の検査に「つきそい」まして、次々と説明を受けたのですが、
いやはや、こういうのって、気疲れ&疲弊するものですね。。。

自分が入院したときのほうが、シャキっとしてて気はラクだったかも。

幸い、今回も命にかかわるような病気ではありません。
それでも疲弊してしまうのですから、
大病を患っている方のご家族のご心労たるや、想像を絶します。

日ごろ縁のない「病院」に身を置いてみると、しみじみ実感されますね。
……健康って、ほんとうにありがたいです!

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いけしゃあしゃあ

若い人は使わない?

「いけしゃあしゃあ」

実は、息子が中学校で仲間とふざけあっているなかで
「よくもまあ、おまえ、いけしゃあしゃあと……」
と言ったら、相手に爆笑されてしまったとか。
そんな言い回し、聞いたことない、ということになり、
みんなで辞書をひいてみたら、辞書にはちゃんと載っていてほっとした、とのこと。

私にとっては、れっきとした使用語彙。
使われていないのかなあ……と、グーグル検索をかけてみたら、
筆頭に上がってきたのが

「いけしゃあしゃあ」って何ですか?(YAHOO!知恵袋)
「いけしゃあしゃあ」とはどういう意味ですか?(同上)

ううむ。。。
これもまた、そのうち「昭和の言葉」とかいって、死語になっていくのでしょうか?

息子いわく、「のんべんだらり」も同様だそうです。

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『音楽の聴き方』中公新書

岡田暁生『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』中公新書

面白かったのは「わざ言語」。

指揮者がリハーサルで用いる表現例として
「いきなり握手するのでなく、まず相手の産毛に触れてから肌に到達する感じで」
「おしゃべりな婆さんたちが口論している調子で」
等が挙げられています。

実は、筆者の用いるこの「わざ言語」という用語、
「特定の身体感覚を呼び覚ますことを目的とした特殊な比喩」という意味で、
日本舞踊の伝承の研究本から引用したもののよう。

日本舞踊では
「指先を目玉にしたら」
「天から舞い降りる雪を受けるように」
「揚げ幕に丸い穴をあけてそこから向こうをのぞくように」
などの例があるそうです。

なーるほど!
両者は共通しているけれど、
日本ではそれが定まった「型」の伝承へと進んだのでは?
西洋ではそこまでの対応にはならないと思いますが。あくまで個性、といいますか。

でも、必要なのが「リアルな身体感覚」というのは同じ。
なんだか、斎藤孝氏の「身体論」につながる感じ。

で、専門的な音楽用語も、その多くが本来「わざ言語」的性格のものだとか。
常識なのかもしれませんが、私にはそこまでの認識はなかったです。

noteスタッカート:はがす、ちぎる
noteレガート:縛る、結ぶ
noteアレグロ:朗らかに、快適に (「速く」ではない。急いてはいけない)

ツェルニーの定義によると、

noteピアニッシモ:謎めいた神秘的な性格、遠い彼方からのこだまのざわめきのように、聴き手を魅惑する効果

noteフォルテ:エチケットに反しない範囲での、独立心に満ちた決然とした力、ただし情熱を誇張するわけではない

noteフォルテッシモ:歓呼にまで昂ぶった喜び、または憤怒にまで高められた苦痛

なるほど。
たしかに、どれもこれも、強弱といった物理的な指示ではありません。
音楽と言葉は結びついているものですねえ。

日本語では、演奏を評して「上手い/下手」という表現を多用しますが、
ヨーロッパの音楽好きはこういう言い方はまずしない、そもそもその語彙がない
という指摘にも納得。
「ちゃんと音楽をしている」というのが賞賛の言葉なんだそうです。

それから、もう一点、「なるほど!」と思ったのが
レコードやCDがない時代、アマチュアが日々音楽に親しむ手段だったのが

連弾

だったということ。
近代音楽が決定的にアマチュアの領分から切り離される境界線は、
連弾のための編曲版が作れるような曲か否か、である
という考え方もできるそうです。

歴史の中で、音楽地図の中で、
アマチュア音楽愛好家の一人としての自分の立ち位置、目ざす方向を確認させてもらえたような、そんな本でありました。

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贈り物

091101flower 今年度限定の集中講義が、先日終了。
その教え子たちから贈られたのが
写真のプリザーブド・フラワーです。

受講生全員がそれぞれに書いた
手書きのメッセージ・カードも一緒に。

日本の若い女の子たちの見事な心配りに
びっくりいたしました。
私がガサツであるだけに。。。
そして、感激してしまいました。

気がつけば、今日から霜月。
二か月めくりのカレンダーは
最後の一枚になりました。
今年もそろそろ最終盤です。

あわただしさも増す季節、
心がささくれ立ちそうになったら、このお花を見て心を落ち着けようと思います。

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『怖い話2』

1年前ぐらいから評判になっていますね。中野京子『怖い絵』。
『怖い絵』『怖い絵2』『怖い絵3』と図書館で予約したうち、最初に手元に来たのが2。

ちょうど美術展 The ハプルブルク を見てきたところだったので、(→
「ほほう~。な~るほど!」
の感もひとしおのエピソードが。。。

上記美術展トップページ画像ともなっている、
ベラスケスが描いた マルガリータ王女、そしてその弟・皇太子の肖像画。
展覧会会場には、次のような解説がありました。

・マルガリータ幼少時から肖像画が描かれたのは、嫁ぐことが決まっていたウィーン王室に送るためだったこと
・弟皇太子の衣服についている鈴などは、体の弱かった彼を悪霊などから守る護符だったこと

で、『怖い絵2』です。
上記の絵・関連のほかの絵についてですが、次のような事情が説明されていました。

近親結婚で「異様に血を濃く」してゆく王家。
初代カルロス一世+いとこ→二代目フェリペ二世+姪(いとこ婚した実妹の娘)→三代目フェリペ三世+いとこの娘→四代目フェリペ四世+姪(実妹の娘)→

で、ここに生まれたのがマルガリータと、その弟、だったわけです。
肖像画の皇太子の「体が弱かった」のは、こうした血の濃さ、「今生きる我々におぞけをふるわせる四連続」の結果だったと。
そして、肖像画の男児が夭折したあと、マルガリータの10歳下に奇跡的に男児が生まれ、
彼が「カルロス二世」として即位するも、彼は「呪いをかけられた子」と陰でささやかれるような出来で、数割マシに描かれたと思われる肖像画からも、それが見てとれてしまう……

マルガリータも、ウィーンへ嫁いだ後4人の子どもたちを次々となくし、21歳の若さで病死。。。

こわっ!

そして、このマルガリータの時代には、「宮殿には数百人の奴隷」がいて、
重労働を担う一般の奴隷のほかに、「慰み者」と呼ばれる道化たち――矮人、超肥満体、巨人、異形の者、阿呆、おどけ、黒人、混血児など――がいて、
「その数はベラスケスが宮廷にいた40年の間だけでも、50人を超えた」

こわっ!
確かに、西洋の古い物語には「せむしおとこ」などの異形の者が頻繁に出てくるような…

言われてみれば当然だけれど、言われてみないと気づかない「怖さ」。
絵とともに語られると、歴史の流れ(うねり)が実感されます。

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篠田節子『薄暮』

読書の秋、という季節になりました。

自宅最寄の公立図書館、蔵書整理期間ということでしばらく休館だったのですが
昨日から無事開館。
ほいほいと足を運んで借り出して、ほぼ1日で読みきってしまったのが標題の本です。

篠田節子『薄暮』

日経新聞の夕刊に連載されていたのですね。知りませんでした。

雪に埋もれる田舎の地に根を下ろし、地元の風景や人物を描いた画家。
その画家をめぐって、
中央画壇に出ようとしない彼の才能を信じて支えつづけた、美貌の妻と
画家の死後、彼の絵を世に出そうとする東京の出版社の男との駆け引きを軸に
物語は進みます。

話の展開はミステリーじみていて、
妻が「贋作」として認めようとしない作品群の謎、
絵を買い取ろうとする怪しげな人物の動き、などが織り込まれるのですが、

もうひとつの流れとして、世の流れ、世間のどろどろしさが炙り出されます。

画集が無事出版され、画家が評判をとるという、地元の願いどおりの展開が、
彼を支え続けたはずの地元の人たちの間に亀裂を生んでしまったり、
純粋な読者の声だと信じていた反応が、実は組織的に仕組まれたものであったり、
怪しげな人物が、実は古くから地元に関わっていた常識人であったり……

そして、プライドの高い凛とした女性が、妄想や記憶障害にとらわれ、老いていく姿、
自分を見せずに「役割を生きる」ことに徹する女性の姿も、くっきりと描き出され…

いろいろな読み方のできる、奥の深い小説だと思いました。

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何から買うべきか

ウインドウズ7、発売されましたね。(今頃になって……と苦笑されそうですが)

5-6年使い続けている我が家のXPノートパソコン、
動きが鈍くなるのを騙し騙し、、、
という感じなので「今が買い時か!?」とも思うのですが、
先日、「それどころじゃなかろう!」という出来事が……

実は、パソコンの前に、TV関係を新調するのが先決かも、と気づいた次第。
我が家では、TVがまだアナログであるのはもちろん、
録画媒体が未だにVTRだけなんです。
DVDの再生プレイヤーはあるのですが、録画不能。

で、最近、職場の教室TVがすべて「デジタルTV」になりました。
TVにはVTR再生機も接続されているので、当然今までどおり教材VTRオン!

……???……ショック!ショック!……

なにごとが起きたかといいますと、
数十秒ごとに「再生中・青画面」がフラッシュバックのように挿入されるわけです。
劣化したテープのデジタル読み取りに失敗した結果ですね、きっと。
これはまさに「目も当てられない」状況です!

はたと気づいて周囲に聞いてみたところ、
DVD録画機能を持っていないという人は全く見当たらず、

「近々ブルーレイに変えなくちゃねえ」
「今はDVDは古いでしょう、ブルーレイでしょう」

果ては
「えっ?VTRって何のことだっけ?テープ??えええっ??」

という反応まであり、我が家の古色蒼然ぶりをやっと認識した次第です。
しかし……
デジタルTVに、録画再生機に(ブルーレイにすべきか?という問題も浮上)、
そのうえパソコン、となりますと、
当然ながら「いっぺんに全部」は、無理でございます。

いったい何から買うべきか? To buy, or not to buy: that is the question.

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ハプスブルク展

国立新美術館へ行ってまいりました。
学園祭からみでの休講で空いた時間を利用しまして。

華麗なる王家と美の巨匠たち THE ハプスブルク

月曜の11時前に入館し、12時過ぎまでかけて鑑賞 というスケジュールで、
懸念したほど混雑もせず、
(11時半過ぎ頃から、人が見る見る増えていった感はありましたが)
思うままのペースで楽しめました。

それにしても、陸続きのヨーロッパ大陸、複雑怪奇な歴史ですよねえ。。。
支配者の名前が、また混乱の極み。
△△2世、○○3世、△△・○○2世、○○大公、……
(フランツ、ヨーゼフ、ルドルフ、リチャード……)

お手上げ、って感じです。。。世界史、どうにもこうにも頭に入りませぬ。
(恥をさらしてしまいますが)
でも、まあ、そんな歴史も、視点を絞ってみるとわかりやすいかも、
と感じさせられました。

・会場内で、ビデオが2種類放映されていますが、最初のものを見ておくと、展示が数段わかりやすくなります。歴史のお勉強のうえでもお奨めです。

・展示のカテゴライズの仕方がわかりやすいです。ハプスブルク家の美術コレクション、いやもう、ヨーロッパじゅうの美術を集めまくったのね、と感心させられます。

・国(というか、当時の感覚では「地域」でしょうか)ごとの特徴なども感じ取られて面白いです。ドイツ絵画、私は初めてまともに鑑賞しました。

・有名どころの作品も多々(ルーベンス、フリューゲル、レンブラント、ベラスケス、……)。

・明治3年に日本からオーストリア・ハンガリー王国に贈られたという画帖、蒔絵棚が「日本初公開・初里帰り」として展示されていて、ここは黒山の人だかりでした。
保存状態が大変良く、鮮やかな色彩にびっくり。
また、「明治初期は、フランツ・ヨーゼフ2世(奥様が美人で有名なエリザベート)の時代」ということも納得いたしました。

行く価値のある展覧会だと思います。

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『ピアノ・ノート』

『ピアノ・ノート 演奏家と聴き手のために』チャールズ・ローゼン 
2009 みすず書房
(Piano Notes: The World of the Pianist (New York, Free Press, 2002)

先月刊行の新刊本です。
今までに読んだピアノ関係の本のなかで、一番収穫がありました。
この本を読んで、胸に残ったことを記しておきますと

★ピアノを弾く者として、身体をきちんと作って、自分の音をよく聴いて、弾かせてもらえるチャンスを大事していきたい!
★プロのピアニストの抱くべき覚悟たるや、想像を絶する。コンクール至上の考え方にも問題がありそう。
★プロの演奏家の録音切り貼りが一般的なら、それができないアマチュア演奏の録音が悲惨に聞こえるのは、むべなるかな。
★「素人が仲間内で聴きあう音楽会」の意義は?
プロが友人のために弾く会では、聴き手に合わせてとっさの機転で曲を選び、即興演奏も行うものだそうですが、素人にはそれは無理。
実はこれって、最近になって勢力を拡大しつつある、歴史的に見ても新たなジャンル?

さて、本文ですが、大変切れ味の鋭い文、論の運び。……著者略歴を見て、納得です。

Charles Rosen
1927年ニューヨークに生まれる。4歳でピアノを始め、11歳でジュリアードを中退、モーリッツ・ローゼンタールに師事する。
1951年プリンストン大学で博士号を取得(フランス文学)。
コンサート・ピアニスト、音楽批評家・理論家。
これまでにニューヨーク州立大学、オックスフォード大学、ハーバード大学、シカゴ大学などで教鞭をとる(フランス文学ほか)


いくつか、印象に残ったところを要約しておきます。

第1章 身体と心

★「腕に力を入れず、包み込むような柔らかいタッチで弾くべし」の理由

1)身体的な理由(各指を独立させるため、自由な筋肉を得る)
腕の力を抜かなければ、各指の筋肉を独立して動かすことができず、音の響きに対する演奏者のセンスを発揮することができない。
音質を決めるのは、機械的・技術的なメソッドではなく、指のコントロールによる引き分け能力と響きのバランスである。

2)心理的な理由(いい音質を作り出す上で、心理的にうまく働く)
ピアニストの身体は演奏のあいだ非常に多くの部分が活性化するので、身体が心に及ぼす影響は顕著であり、身体の固さは音楽の固さとなって現れる。

第2章 ピアノの音を聴く

弦楽器奏者や木管奏者は、楽器を習いはじめたときから自分の音を聴く習慣がついており、それが無意識の、第二の天性のようになっている。
だがピアニストは言われないと気づかない。

第4章 音楽学校とコンクール

・コンクールで、誰かの解釈のコピーのような演奏をするピアニストに対して
「学位のための試験なら78点をつける。だが職業を賭けた場では、こういう演奏はコンサートホールから追放されるべきだとわたしは考え、最低点をつける」

・ピアニストの道を志す者へ
ピアニストはなにがどう転ぼうと、自分の好きな音楽だけを弾くべきだ。そして同時にそれと同じくらい重きを置くべきは、自分だけの独自の解釈ができると考えるものだけを弾くことである。
学位のため、コンクール優勝のためにしなければならなかったことは、なんの意味ももたない。音楽に対する自分の観点と合致しなかった過去の教育は、人生の前半にかぶってきた甲羅のようにさっさと捨て去るときである。

第5章 コンサート

「なんのために公共の場で演奏するのか?」
演奏のたびごとに、音楽作品をその理想とする客観的存在に近づける機会があたえられるから。

コンサートの成功の鍵をにぎるのは聴き手の集中度、聴衆の中にわきあがる関心の高さである。(玄人には容認しがたい演奏が、ある聴き手には作品の魅力を伝える演奏として熱狂的に受け入れられることもある)

第6章 レコーディング

・テープ・スプライシング技法(テープの切り貼り)
「つまるところ、わたしはまちがった音をスプライスで消すのと、納得のいくまで全曲とおして16回弾くこととのあいだに大した差があるとは思えない。」

レコーディングの目的は技量の優越性を誇示することではなく、最良の一枚を作ること。
コンサートでは一音のまちがい、ど忘れ、ぎこちないフレージング、ちょっとしたリズムの計算違いはさほど重要ではないが、何度も聴きなおすレコードでは、それがつまずきの石になる。レコードを聴くたびに、まちがいの箇所を待ち構えることになるからだ。

(以下略)

第7章 演奏スタイルと音楽様式 では、
ピアノという楽器の歴史と、演奏スタイルの変遷について述べられていますが、
今日のところはここまで、ということで……

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学級閉鎖

ついに息子のクラスが学級閉鎖になりました。はい、新型インフルエンザです。

連休前の時点では、
同じ階の全8教室中、閉鎖を免れているのが息子の在籍クラス1クラスのみ、
という状況だったということなので、まあ、むべなるかな……なのですが、
シルバーウイーク、体育の日連休、ここに来てまた連休とは。

夏休み中から、部活単位で、じわじわと感染が広がってきていて、
クラス内では、9月末に窓側の列からじわじわ
今月に入って、廊下側の列からじわじわ……という状況だとか。
なんでも、ものの見事に扇形に感染していっているのこと。

ど真ん中の列にいる息子、ただいま元気はつらつです。
これで、学級閉鎖解除後に乗り遅れて感染→長期休み……なんてことにならないよう、祈るばかりです。

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